今のヨーカ堂のお店だけを見ていては、ないないづくし、とおっしゃられてもピンと来ない社員も多いのではありませんか。

伊藤:いえ、そんな状態は、わりあい最近まで続いていたんですよ。雪印とか森永とかの大手乳業メーカーが牛乳をちゃんと売ってくれるようになったのだって、ようやく昭和47年(1972年)になってからのことですから。

 ただ、それでも何とかやって来られたのは、商売を始めたあの当時の体験が私の中に焼きつけられていたからということは言えるでしょうね。やはり人間、最初が肝心なんですね。昔、亡くなった兄から「開店の時の心がけを忘れるな」と厳しく言われましたが、今振り返っても、なるほどと思います。

「小売業に能力なんて関係ない」

そういう厳しい条件の下で事業を少しずつ大きくしていくには、何が最も大切だったのでしょう。

伊藤:平凡なことですが、お客様にせよ、取引先にせよ、相手を絶対に裏切らないことではないでしょうか。言い換えれば、安心感を持っていただけるようになることです。あいつならカネを貸しても大丈夫だ、あの店の商品なら間違いはない、と安心していただく。信用とは安心感なんです。

ヨーカ堂も、かつては今で言うベンチャービジネスだったわけですが、お話をうかがっていますと、非常に地味な教訓が多いですね。ベンチャーというと、何かきっかけをつかんで一気に飛躍するという華々しいイメージがつきものなんですが。

伊藤:もちろん、いろいろな節目がありましたが、企業が大きくなるほど、ますます地道な心がけが必要になるんですよ。今、私どもの店には、全国合わせて1日300万人のお客様がお見えになりますが、万が一、どこかの店で事故があれば、300万人のお客様に不安を与えてしまう。

 悪い話は10人いれば10人に伝わります。逆に、いい話は10人いても3人ぐらいにしか伝わらない。信用を積み上げるということは、それだけ大変なことなんです。

立場を逆にして、カネを貸す銀行などから見ると、中小ベンチャービジネスの経営者の能力や資質をどうやって見分けるかは今、非常に重要な問題になっています。

伊藤:少なくとも小売業について言えば、最初は能力なんて関係ないんじゃないですか。私なんか、特別な能力は何もありませんしね。むしろ、私が昔から見てきたケースでは、小僧さんから経営者として独立できるタイプには無器用な人が多い。器用な人は、番頭で終わっちゃうんですね。

「狂気のような情熱は災いのもと」

独立するには意固地なところがあるくらいの方がいいということですか。

伊藤:商品でも店づくりでも、何か一つ好きなものを持っていて、それに夢中になって突き進む。一種の狂気のようなものがないと、中小企業を大きくすることはできないんですね。

 だけど、ある程度大きくなると、今度はマネジメントにそれなりの技術が必要になってくる。これは中小企業の経営とは全く違った性質の仕事です。ここになると、むしろ「狂気のような情熱」が災いのもとになることもある。好きこそものの上手なれ、といいますが、同時に、人間は、好みによって滅びる、という危険と背中合わせに生きているんですね。