各分野のエキスパートが脇を固める

 鈴木氏が具体的に指示した事柄を交通整理して、新たなプロジェクトを立ち上げたり、社内外への浸透度合いをチェックしたりするのが、栗田裕夫社長以下の役員の責任だ。鈴木氏の指示内容は多岐にわたるだけに、その下には業務執行能力に優れた各分野のエキスパートたちが集められている。

 1992年春に起きた総会屋事件で、オーナー経営者の伊藤雅俊氏が経営の第一線を退き、鈴木氏は会長に就任した。その“余波”で常務から社長へ抜てきされた栗田氏は自衛隊の師団長経験者だ。経歴の異色さで話題を集めたが、社長ポストについては「会長の指示を現場の隅々にまで徹底させるのが責務」と説明する。

 一方、清水秀雄・副会長はヨーカ堂出身者で、加盟店のリクルート活動を中心に担当してきた。創業以来のメンバーで、業界では「鈴木会長の女房役」と評される。鎌田誠皓副社長、中川弘常務(リクルート担当)、工藤健常務(商品本部長)、宇野沢守哉常務(物流管理本部長)らのほか、残る常務以上の役職者も、セブンイレブンの1号店出店(1974年5月)当時に中途入社した人物ばかり。実質的に創業メンバーと言える。

 専門商社、労働組合、住宅メーカー勤務など、役員陣の前職は多彩で、創業当時はその専門能力を買われてセブンイレブンに入った。この20年間、鈴木氏の手足となって各部門の実務遂行に力を見せつけてきた。

 規模拡大による悩みも出てきた。OFC会議では700人の陣容ともなると1カ所の会議室には入り切れず、一部は別室でテレビモニターを介して鈴木氏のスピーチを聞いている。「北海道や九州などの遠方から、毎週、本社に集まることに意味がある」(鎌田副社長)とはいうが、これでは厳密な“ダイレクトコミュニケーション”と言い難い。

 セブンイレブンの強さを突き詰めれば、鈴木氏のリーダーシップに加え、1週間単位で判断実行する“スピード”、原理原則を忠実に唱え続ける“しつこさ”、さらに情報力を駆使して棚単位で商品のすみ分けを考える“ディテール”といったキーワードが浮かび上がる。

 だが、メーカーや問屋を巻き込んだ分業システムは、セブンイレブンの成長力を前提に成立している。「弁当の専用工場は4年目ぐらいまでは赤字が当たり前。年間最高2億円の赤字になったこともあった。成長性の裏付けがなければ、こんな厳しい条件は受け入れられない」(弁当・総菜業者)というのが取引先の本音だろう。

 環境変化に対して柔軟さを失うと、セブン-イレブンの経営基盤はまたたく間に崩壊する不安をはらんでいる。

(日経ビジネス1993年11月8日号に掲載した記事を再編集しました。社名、役職名は当時のものです。)

鈴木敏文 孤高』 好評発売中!

 日本を代表する巨大流通コングロマリット、セブン&アイ・ホールディングス。長く同社を率いてきたカリスマ経営者の鈴木敏文氏が、2016年5月に、経営の表舞台から退いた。日本にコンビニエンスストアという新しいインフラを生み出した鈴木敏文氏。一人のサラリーマンは、どのようにカリスマ経営者となり、巨大企業を率いるようになったのか。そしてどんな壁に直面し、自ら築き上げた「帝国」を去ることになったのか。

 本書では2つのアプローチで鈴木氏の半生と退任の真相に迫った。1つは、鈴木氏本人の肉声である。日経ビジネスは鈴木氏の退任以降、延べ10時間に渡って本人への単独インタビューを重ね、鈴木氏自身に真相を語ってもらった。もう1つは、セブン&アイの「2人のトップ」を知ることである。鈴木氏本人と、イトーヨーカ堂創業者でありセブン&アイのオーナーでもある伊藤雅俊氏。鈴木氏は創業者である伊藤氏の信頼を勝ち取って幹部として台頭した。日経ビジネスは1970年代以降、およそ半世紀に渡って伊藤氏と鈴木氏の取材を重ねてきた。歴史を振り返りながら、「2人のトップ」の絶妙かつ微妙な関係がどのように誕生し、維持されてきたのかを解き明かした。

 戦後の日本を変えたカリスマ経営者、鈴木敏文氏。53年間のすべてを一冊に収めた。ぜひご一読ください。