
世界有数の流通コングロマリットを長く率いてきたカリスマ経営者、鈴木敏文氏。1963年に黎明期のイトーヨーカ堂に身を転じてから、トップの座を去るまでの53年間、日経ビジネスは彼の挑戦や奮闘、挫折を、常に追い続けてきた。そして2016年、カリスマ経営者のすべてをまとめた書籍「鈴木敏文 孤高」を上梓した。だが、書籍には収まりきらなかった珠玉のエピソードがまだ数多くある。イトーヨーカ堂創業者・伊藤雅俊氏の素顔から、鈴木敏文氏がそれぞれの時代に語った言葉まで。日経ビジネスが追った鈴木氏と伊藤氏の半世紀を、特設サイト「鈴木敏文 孤高」で一挙に公開する。
今回公開するのは、日経ビジネス1981年8月10日号に掲載した記事だ。当時、イトーヨーカ堂は小売業界で経常利益日本一を達成した。だが、創業者であり社長の伊藤雅俊氏は、危機感を募らせていた。自らの培った商人道や倫理観が、膨らんだ企業組織に浸透しきらなくなってきたからだ。それは、最大の武器である販売力が根幹から揺らぐことを意味する。スーパー業界の激戦を勝ち抜くために、ヨーカ堂内部での“商人道”の再構築が焦眉の課題となっていた。(写真:的野弘路)
※社名、役職名は当時のものです。

1981年6月、舛川洋栄取締役人事室長に、伊藤雅俊社長の特命が下った。内容は、「1990年代以降のイトーヨーカ堂における労務管理、人事制度のあり方を研究し、具体案を作れ」という壮大なテーマである。
「私はこの仕事に、残されたヨーカ堂での人生のすべてをかけるつもりです」。舛川氏は珍しく気負った口調で言った。「日本の労務管理が通用する時代はもはや終わった。ヨーカ堂でも、従業員のモラールの低下に最も頭を痛めているのは社長じゃないですか」。
伊藤社長は言う。「正直に言うと、私は自社の店舗には1店たりとも満足してない。最近の小売業の従業員は、お客様という原点を忘れているんですよ」。
確かに、伊藤社長をいらだたせるような話を、最近よく耳にする。
例えばこの夏(1981年夏)の猛暑で、東京のある店では、カビの生えた日配食品が発見された。また同年6月の異常低温で売れ残った夏物衣料が、問屋と合意した返品率をはるかに上回る規模で「不当返品」された、等々…。
だが、スーパー業界を取材していれば、これらは別に珍しい話ではない。ヨーカ堂はむしろ、この類の話が他社と比べて少ない企業である。多少トラブルが増えてきたとしても、社長自ら、深刻に頭を悩ますことでもなさそうに見える。
現に、1981年2月期の決算を見ても、ヨーカ堂の業績は堂々たるものだ。経常利益は229億6800万円と、百貨店の三越を抜いて小売業界日本一になったし、売上高でも687億6700万円で、ダイエーに次ぎ業界第2位の座を確保している。
この4年間で売上高を倍増させる急成長を遂げたにもかかわらず、自己資本比率は33.33%と大手スーパーの中で最高だ。スーパーとしては非の打ちどころのない財務体質である。
にもかかわらず、伊藤社長の顔には、功成り名を遂げた者の持つ余裕はうかがわれない。表面に表れたミスにとどまらず、従業員の社内でのあいさつの仕方ひとつまで、タガのゆるみが感じられて、気になって仕方がない。
「商人は生活のすべてがお客様のため。仕事のやり方から行儀作法に至るまで商人としてのけじめというものがある」という、自らの倫理観、商人道徳に反することが多すぎるのだ。
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