
世界有数の流通コングロマリットを長く率いてきたカリスマ経営者、鈴木敏文氏。1963年に黎明期のイトーヨーカ堂に身を転じてから、トップの座を去るまでの53年間、日経ビジネスは彼の挑戦や奮闘、挫折を、常に追い続けてきた。そして2016年、カリスマ経営者のすべてをまとめた書籍「鈴木敏文 孤高」を上梓した。だが、書籍には収まりきらなかった珠玉のエピソードがまだ数多くある。イトーヨーカ堂創業者・伊藤雅俊氏の素顔から、鈴木敏文氏がそれぞれの時代に語った言葉まで。日経ビジネスが追った鈴木と伊藤の半世紀を、特設サイト「鈴木敏文 孤高」で連日、公開する。
今回公開するのは、日経ビジネス1976年3月15日号に掲載した記事だ。当時の日本経済界では、ロッキード事件を機に企業の倫理感が改めて問われていた。一方のイトーヨーカ堂は、首都圏を中心に堅実経営を続けていた。当時、ヨーカ堂の社長だった伊藤雅俊氏は、「商売人にとって、一番恐ろしいのは、自分自身のおごりの心」「お客さまが来るのは当たり前と思うようになった時から企業の内部崩壊が始まる」「お客さまと消費者、この2つの言葉の違いは大きい」などと説く。根底にある思いとは何か。聞き手は本誌編集長、吉村久夫(1976年当時)。(写真:的野弘路)
※社名、役職名は当時のものです。

1924年4月30日、東京都大田区に生まれる。51歳(当時)。1944年、横浜市立商業専門学校(現横浜市立大)卒業。翌1945年、陸軍船舶幹候隊に入隊。約半年で終戦を迎え、同年12月に先代社長伊藤譲氏とともに羊華堂洋品店を開く。1958年ヨーカ堂を設立、社長に就任。1965年、社名をイトーヨーカ堂に変更して現在に至る(年間売上高2530億円、店舗数57店、従業員数1万200人=掲載当時)。華やかなチェーン展開を競うスーパー業界にあって、その堅実経営ぶりはつとに有名。たまの休日は読書に費やされ、ゴルフのハンデ26はなかなか縮まらない。
ロッキード事件をきっかけに、ビジネスの倫埋という問題がクローズアップされていますが、社長はかねてから、商人道ということを強調されています。
伊藤雅俊氏(以下、伊藤):私は社員である前に人間であれとよく言うんです。小売業なんていうのは信用業なんですね。私どもの店に来ていただけるのは、安心感みたいなもので、これが信用の下限と言えましょうか。信用の上限は期待感になってくる。店が大きくなれば、お客さまの目はそれだけ厳しくなってきますから。
同時に、私たちがここまで来られたのは、決して自分たちの力じゃないんだということを徹底させています。過去10年間で売上規模は25倍に増え、日曜日などは1日100万人からのお客さまをお迎えしているんですが、もう一歩内容を見ると、客単価は約1500円で、純利益はその1.5%くらいにしか過ぎません。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」じゃないけれど、本当に細い糸で支えられている。扱う商品だって、いろいろな人の力で動いているし、株主からも資本を提供していただいており、パートタイマーの主婦の方だって、同時にそれぞれの地域社会のお客さまなんだしという具合ですね。
実に、持ちつ持たれつの関係なんです。ごく当たり前のことなんですが、そういう気持ちを普段から持っていないと、私たちはお客さま、社会の基盤の上に支えられているという本質的な問題を、ともすれば見失ってしまいますからね。
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