慶応義塾大学大学院経営管理研究科(慶応ビジネス・スクール)が次世代の経営の担い手を育成すべく、エグゼクティブ向けに開設する「Executive MBA」。11月の経営者討論科目では、元グーグル日本法人社長の村上憲郎氏が「激動の第4次産業革命の時代を生き抜く」と題して講義を行った。
講義の後では、村上氏と受講者との間で質疑応答が行われた。人工知能(AI)が指数関数的な飛躍的進化を遂げ、人類の知能を上回ることを指す「シンギュラリティ(技術的特異点)」についての見解や、第4次産業革命が進んだ先の未来像に関する質問に対し、村上氏は自身の見解を詳細に示した。
また、グーグルといった世界に知られた企業におけるマネジメント経験を豊富に持つ村上氏が、グローバルに仕事を動かすために最低限持つべきだと考える教養や知識についても自説を述べた。
(取材・構成:小林佳代)
村上憲郎(むらかみ・のりお)氏
元グーグル日本法人社長/村上憲郎事務所 代表取締役
1947年大分県生まれ。1970年京都大工学部を卒業後、日立電子に入社。1978年日本ディジタル・イクイップメント(DEC)に転じ、1992年同社取締役企画本部長に。1994年米インフォミックス副社長兼日本法人社長、1997年ノーザンテレコム(後にノーテルネットワークス)ジャパン社⻑、2001年ドーセントジャパン社長などを歴任。2003年グーグル米国本社副社長 兼 日本法人社長に就任。2009年グーグル日本法人名誉会長に。2011年村上憲郎事務所を開設し代表取締役に就任、現在に至る。(写真:陶山 勉)
「意識とは、無意識がしたことを後で把握するための装置である」
(受講者) 今、我々「Executive MBA(EMBA)」の生徒は「ビジョナリー」という科目で40年後の世界を描き、そこからバックキャストする(そこから振り返って現在すべきことを考える)ことに取り組んでいます。人工知能の能力が人間の脳を上回る「シンギュラリティ(技術的特異点)」についてのお話が出ましたが、我々のイメージでは40年後の2058年くらいでもシンギュラリティには到達しないのではないかと考えています。
一方、レイ・カーツワイルは2045年にシンギュラリティが実現するだろうと言っていますが、村上さんはどのようなイメージを持っているのでしょうか。
村上:これまで登場してきた人工知能(AI)はすべて単機能でした。グーグル・ディープマインドが開発した囲碁用AI「アルファ碁(AlphaGo)」のように単機能に絞り込めば、人間をはるかに越えた能力を示すということは2045年を待たずして、いろいろな分野で出てくると思います。レイ・カーツワイルがシンギュラリティを2045年と設定した理由は、おそらくネットワーク化されたAIみたいなものを想定し、その能力が人間の能力を超えるという風に考えたからだと思います。
ただ、AIが本当に人間の能力を総合的に超えられるのかというと、私はやや懐疑的です。なぜなら、「私」という自己意識を創り出す手がかりさえ、まだ我々は持ち合わせていないからです。人間に勝って喜ぶアルファ碁も、負けて悔しがるアルファ碁もまだいません。エヌビディアの深層学習向けGPU(画像処理装置)を搭載したコンピューターを何十台、何百台と回して⾼等な統計数学の計算をしているだけ。それで人間を超えられるかといったら超えられないのではないかと思います。
自己意識の創出に関しては、いろいろな試みが出てきています。たとえば、慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の前野隆司教授は「受動意識仮説」を立てています(前野教授の著書『脳はなぜ「心」を作ったのか』に詳しい)。「人の意識とは、意思決定を行っているわけではなく、無意識がやったことを後で把握するための装置である」ととらえた仮説です。意識は、無意識的に決定された結果を追認しているだけである、と。
この仮説ができるきっかけになった実験があります。人が身体を動かす時には脳細胞が筋肉に対して「動け」という指示を出します。英語で、脳細胞が働くことを「fire」、つまり発火すると言うのですが、ある実験で、手を上げようとした時に、手を上げるために筋肉を動かす脳細胞と、手を上げようと思った脳細胞とでは、筋肉を動かす脳細胞の方が先に発火していることがわかりました。
つまり、「手を上げよ」と意識が命令して手が動くのではなく、「手を上げるための準備をした」から意識がついてくる。自己意識は行動を追認しているに過ぎないことが明らかになったのです。では「私」という存在は何か。エピソード記憶を蓄積するための主語として受動的に登場したというのが受動意識仮説です。
従来、AIの研究では、「知能のセンターに存在する自己意識が各部位に対して指示を出してコントロールしている」という発想で「私」をつくろうとしていたのですが、このやり方ではどうもうまくいかない。そこで、今の研究はそれぞれの部位に単機能で勝手なことをやらせて、最後に「私がやった」と追認させるという方向になっています。
人工知能(AI)が指数関数的な進化を遂げ、人類の知能を上回ることを指す「シンギュラリティ(技術的特異点)」。米国の発明家レイ・カーツワイル氏は2045年に訪れると予想したが…。(写真:johndwilliams/123RF)
リアル店舗は生き残るのか
(受講者)私はスーパーマーケットの経営に携わっています。当社の店舗では今、ようやくセミセルフレジの導入を始めたところです。IoT、AIの時代になり、小売業全体がセルフレジのレベルを超えて大きく変革を遂げようとしています。今は陳列棚への品物の補充も人手で行っていますが、いずれはロボット化されるのでしょう。アマゾンのような巨大ネット企業がさらに隆盛を極め、「リアル店舗はなくなる」とおっしゃる方もいます。小売業はどう変わっていくのか。村上さんのご見解を聞かせてください。
村上:無人店舗の試みは世界各国で進んでいます。日本では消費者が自分で会計を済ませるセルフレジの導入が一部で進んでいますね。日本政府もそれを推進しています。商品にICチップ付きのタグがつけば、レジのスタッフがいなくても会計できるようになります。
一方、アメリカ、中国、フランスなどではまた違う形の無人店舗が登場しています。アマゾン・ドット・コムはスマートフォンのアプリなどと連動し、顧客が陳列棚から商品を手に取ると先にチャージずみの電子マネーから代金が引かれ、棚に商品を戻すと代金が戻り、店を出たらすべて決済が済むといった仕組みのAI食料品店「アマゾン・ゴー(Amazon Go)」をスタートさせています。最初に専用のアプリをスマホに入れておいて、棚から商品を取り上げるとアプリのカートに商品が入り、ゲートを出た時に買い物が完了するという仕組みです。
「アマゾン・ゴー(Amazon Go)」が通常の店と明らかに異なるのは「レジ」がどこにもないこと。代わりに目に付くのが、自動改札機のようなゲート。来店客はゲートの読み取り機に専用アプリを導入したスマホをかざし、アマゾンIDを認証させて店内に入る。あとは買いたい商品を手に取るだけ。商品はアプリの中のカートに追加され、店の外に出ると決済が自動で行われる仕組みの「究極のセルフレジストア」である。(写真:AP/アフロ)
一方、フランスではアパレルショップなどが商品さえ置かない店舗を模索しています。デジタルサイネージのみを置き、AR(拡張現実)により商品である新しい服を着た顧客を映し出す仕組みです。サイズは自動計測します。気に入った服を注文すると、家に帰った時にはそれが届いているというビジネスモデルです。
あなたのおっしゃる通り、商品の補充などもどんどん自動化、ロボット化されていくでしょう。先進的な経営者が率いる小売業はどんどん変わっていくでしょうね。
いずれ各家庭の冷蔵庫もIoT化されれば、卵が何個、牛乳が何本、納豆が何個…などと、残っている食品の個数もセンシングで把握できます。「この家庭は毎朝、卵を3個使う」と認識した上で、自動的に配達する仕組みも構築できます。こうなれば物流業も運送業も変わる。倉庫などは完全に自動化されるでしょう。
もっとも、リアル店舗もある程度は残るとは思います。すべての人間がサイボーグに置き換わってしまわない限り、リアルワールドで手に取って触れたい、直接見たい、食べたいといった要求が残るでしょうから。ただ流通業、小売業が現在とはかなり違うビジネスになるのは確かです。それに伴い、周辺産業も大きく変わるでしょう。
小売業だけではありません。あらゆる産業が変わっていきます。自動車産業は「車体」というモノを売るビジネスから「移動」というコトを売るビジネスに変わる。そうなるとタクシー産業も変わらざるを得なくなります。こういう変化が、これから20年、30年の間に怒濤のように起きていくはずです。
「小売業だけではありません。あらゆる産業が劇的に変わっていきます」
ベーシックインカム導入を議論すべき
(受講者)今が人類史に残るほどの激動の時代であることはよくわかりました。では、今、国は何をしなければいけないのか。もし村上さんが為政者だったら何をしますか。何をしたいですか。
村上:そうですね……1つ選ぶとしたら「ベーシックインカム」の導入でしょうか。それだけで大激論になるでしょうけれど。
この前の衆院戦で、希望の党の小池百合子代表(当時)が「AI(人工知能)からBI(ベーシックインカム)へ」というキャッチフレーズを出していましたね。仕事がAIやロボットに置き換わることで仕事のあり方が変わり、それによって貧富の差が拡大するため、富の分配システムの見直しが必要だというわけですね。与党は小池さんに先を越されちゃった形で、それもどうかと思いますけど…。
ベーシックインカムの肝となる部分は、雇用保険などとは異なり、「一切の審査なしに、性別も年齢も関係なく、無条件ですべての国民に対して一定のお金を配る」ということですよね。かつて学生運動に身を投じていた私からすれば、ついに当時つくろうとしていた社会が来るのかと(笑)。そんな感じですね。
ベーシックインカムについての議論は色々な形で深まってきています。フェイスブックの共同創業者兼会長 兼 CEO(最高経営責任者)であるマーク・ザッカーバーグも2017年5月のハーバード大学の卒業式でスピーチをした際、ベーシックインカム導入を提唱しています。今後、技術開発が劇的に進んでいけば、社会に対して不安定要素も持ち込むことが想定されます。それを補う方法としてユニバーサルベーシックインカムという制度についての議論を始めるべきではないかと訴えたのです。
「第4次産業革命」とか「ソサエティー5.0」といった一連のワードが象徴するのは、人類史を画するような変革が起きる、「始まりの始まり」であるということなのですが、それをカバーする政策というのは、ベーシックインカム導入を決めることかなと私は思います。ベーシックインカムもまた、もし導入されれば、技術の進化とともに大きく社会を変えることになるでしょう。
カーネギーの本の目次を引き出しに入れて読んでいた
(受講者)DEC、グーグルなど、名だたるグローバル企業で仕事をしてきた村上さんには、独自に磨き上げたグローバルな仕事術があるのではないかと思います。ぜひ一部を紹介していただきたいです。
『村上式シンプル仕事術』(村上憲郎 著、ダイヤモンド社)
村上:仕事ができるようになるためには押さえるべき原理原則があります。私は、ビジネスパーソンが最低限知っておくべき原理原則を『村上式シンプル仕事術』という本にまとめていますので、それを参考にしていただければと思います。その中にも書きましたが、グローバルに仕事を動かすために最低限必要な知識があります。「キリスト教」「仏教」「西洋哲学」「アメリカ史」の基礎を、まず理解することです。
グローバル社会では日頃から様々な外国人と接する機会がありますが、現実的に特に多いのはアメリカ人でしょう。グローバルビジネスを成功させるにはまず相手を知ること。アメリカ人のモノの考え方や、その根底にある思想を理解することが重要です。アメリカ人を理解する上でキリスト教の基礎的知識は必要不可欠。また、西洋哲学や、米国の建国以来約250年の歴史を知ることも重要です。
ただ、私はアメリカ人を理解しようとして、キリスト教を知れば知るほど、自分にはこの世界観は合わないという思いを強くしました。改めて、自分は仏教徒であると認識したのです。とは言え、そういう自分は仏教のこともあまりよく知らない。このため、仏教についての基本的知識も身につけました。
こうして、知識としてキリスト教と仏教の違いを知っておくことは非常に重要です。違う宗教や違う価値観で育った人とかかわり合う時には、お互いの背景を理解し合ってこそ、はじめて踏み込んだ人間関係が成立します。どちらの基本概念も学び理解しておくことがビジネスパーソンにとって不可欠です。
『人を動かす』(D・カーネギー 著、山口 博 訳、創元社)
もう1つ、私が経営者としてなんとかやってこられたのはデール・カーネギーの『人を動かす』という本に出会ったからだと思っています。私は日本DECに入社して1年でマネジャーになり、初めて人様を部下として動かすことになりました。まだ若かったこともあり、どのように人をマネジメントすれば良いのかと悩むこともありました。
そんな時に受けたのがカーネギーのマネジメント講習。その時、カーネギーの考え方に感銘を受け、以来、『人を動かす』は私の仕事上のバイブルとなりました。目次をコピーしてデスクの引き出しに入れ、毎朝、出勤した後に一通り読んでいました。内容を思い出しながら、自分に言い聞かせていたのです。皆さんにも参考になる部分があるのではとないかと思います。(了)
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