慶応義塾大学大学院経営管理研究科(慶応ビジネス・スクール)が次世代の経営の担い手を育成すべく、エグゼクティブ向けに開設する「Executive MBA」。11月の授業に登壇した新日鉄住金の佐久間総一郎副社長は「鉄と経営」をテーマに講義を進めた。

 プラザ合意後の円高進行を機に、高炉の合理化に踏み切った新日鉄住金は、住友金属との統合前の新日本製鉄時代、「複合経営」を掲げて新規事業を推進した。半導体、パソコン…、キャビアの養殖、下着の通販まで多岐にわたった。そのほとんどが失敗に終わった時、「事業ドメインの重要性」を改めて学んだという。

(取材・構成:小林 佳代)

<b>佐久間総一郎(さくま・そういちろう)氏</b><br/><b>新日鐵住金 代表取締役副社長</b><br/><br/>1956年生まれ。1978年東京大学法学部を卒業後、新日本製鉄に入社。2004年総務部部長、2009年執行役員、2012年常務執行役員に就任。常務取締役を経て2014年より現職。
佐久間総一郎(さくま・そういちろう)氏
新日鐵住金 代表取締役副社長

1956年生まれ。1978年東京大学法学部を卒業後、新日本製鉄に入社。2004年総務部部長、2009年執行役員、2012年常務執行役員に就任。常務取締役を経て2014年より現職。

新日本製鉄の頃の歩みを振り返る

 鉄鋼業の現状を見てきました。では、これまで新日鉄住金は、何をしてきたのか。統合前の新日本製鉄時代を中心に、その歩みを振り返りましょう。

 新日鉄がドラスチックに動いたのが、1985年のプラザ合意後です。円高が進んだのを機に、合理化に踏み切りました。鉄鋼メーカーにとって象徴的な最重要設備である高炉を、休止。30基以上あったものを十数基(旧住金と併せて)まで減らしました。

 とはいえ、ただ高炉を止めるだけでは、ステークホルダーの理解は得られません。工場所在地の地域経済や雇用、従業員の士気などにも問題は広がります。当時の売上高は2兆円ほどでしたが、鉄鋼以外の新規事業で売り上げを膨らませようと「複合経営」を目指しました。売上高を倍増する「4兆円ビジョン」を掲げ、できることは色々と手をつけました。

半導体、パソコン…、キャビア、カイロ、下着

 一番規模の大きかった新規事業が半導体です。パソコン事業にも乗り出しました。キャビアの養殖、使い捨てカイロの開発・販売、下着の通販。新日鉄が、直接下着の通販を手掛けたとは信じられないかもしれませんが、本当です。

 とにかく実に様々なことをやりました。そのほとんどが失敗に終わりました。ほとんど唯一芽が出たのが、現在の新日鉄住金ソリューションズ。買収に失敗した後、米オラクルとの間でデータベース・マネジメント・システムの日本での事実上の独占販売契約を結び、パッケージを売ったのです。これが当たり、その後、システムエンジニアリング会社として成長する一つのベースとなりました。

 そのほかの異業種への進出は、ほとんど全て失敗。売却・清算等に追い込まれます。その結果、やはり鉄の世界で生きて行こうということになったわけです。1990年代、日系自動車メーカーが海外展開するのに合わせて、我々も海外に進出し、現地での生産を開始しました。

 2000年代に入ると中国の爆発的な成長に伴い、中国の国営メーカーが、鉄鋼生産を急激に増やしました。半年毎に、新たにもう1つの新日鉄住金が生まれるほどのペースで、生産量が伸びて行きます。その結果、原料価格も高騰しました。

グローバルな供給体制を整える

 そんな中で、自動車メーカーをはじめ、我々の取引先は次々にグローバル化を進めていきます。我々もグローバルな供給体制を整える必要に迫られました。

 アジアや北米はそれなりに足がかりがありましたが、ヨーロッパにはなかった。そこで積極的に提携を進めました。我々が開発した製品を、提携先の欧州鉄鋼メーカーがヨーロッパで製造し、提携先の製品を我々が日本でつくるという形にしたのです。

 2005年以降、円高の進行とともにグローバル化はさらに進みます。鉄鋼市場での勝ち残りを賭け、2012年に新日本製鉄と住友金属工業が合併。新日鉄住金が発足しました。現在、日本で高炉を持っているのは4社ですが、2017年にはそのうちの1社の日新製鋼も、子会社となる方針です。独占禁止法違反とならないかどうか、公正取引委員会が審査を行っているところです。

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