企業風土は日本的で、事業構造はグローバルという“ねじれ”

受講者:では日本IBMはどのようにトランスフォーメーションを実行したのでしょうか。日本企業っぽい外資といわれていた日本IBMが、苦痛も伴うトランスフォーメーションを実行する途上では、たくさんの苦労もあったと推測します。それらの苦難をどう乗り越え、克服したのかについて、お話をいただければ幸いです。

下野:私が取締役になったのは2001年のことです。まだ執行役員制度ができる前で取締役は30数名いました。そのうち女性は1人。中途採用で入ってきた人は1人。つまり、21世紀に入っても、日本IBMという会社は男性中心、新卒中心の極めて日本的な企業でした。

 一方、事業構造は大型コンピューターというハードビジネスからソフト、ソリューションサービス、コンサルティングなどにシフトしていました。国ごとのオペレーションというのは徐々に意味がなくなってきていて、会社の軸はグローバルレベルでの事業分野を中心にシフトし、国ごとでなくグローバルに事業分野を軸に会社をオペレーションするようになっていったんです。

 社員の意識は日本的なままなのに事業構造はグローバル企業という、大変なねじれ現象が過渡期には起きていました。IBM全体は昔のビジネスモデルを転換して新しいビジネスモデルに変わっていこうとしていましたが、我々日本IBMの社員はなかなか変わることができなかった。外国人が重要なポジションに登用されたのを苦々しく感じたり、昔ながらの商習慣がコンプライアンスの問題に触れたことを疑問に思ったり…。2000年代半ば、日本IBMの社員の間にはそういう空気が流れていましたね。

 私自身も2000年代の半ばはオペレーション・モデルの変更に戸惑いながら組織をリードしていました。連続的に会社が変わるというのは難しいこと。どこかで1回、ディスラプティブな、非連続な変革をしないと、なかなか変われません。

 日本IBMの場合は、親会社である米IBMが方針を出してくるので、それをどう実行するかです。会議で米国から来た役員と激しくぶつかったこともあります。でも、これからのIT業界はグローバルの組織全体をうまく使ってオペレーションをしていくべきで、我々が日本の特殊性に拘泥すれば、日本IBMはどんどん日本でのポジションを落としていったと思います。