慶応義塾大学大学院経営管理研究科(慶応ビジネス・スクール)が次世代の経営の担い手を育成すべく、エグゼクティブ向けに開設する「Executive MBA」。10月の経営者討論科目に登壇した日本IBMの下野雅承取締役副会長は「経営変革とリーダーシップ」と題した授業を行った。
授業の後半では受講者との間で質疑応答を行った。IBMや日本IBMがどのように継続的変革(トランスフォーメーション)に取り組んだのか、この先、IBMはどういう方向に進むのかを問う質問に対し、下野副会長が概要を説明した。米アマゾン、グーグルのようなプラットフォーマーに対する個人的な見解も示した。
(取材・構成:小林佳代)

日本IBM取締役副会長
1953年生まれ、大阪府出身。78年京都大学大学院工学研究科修士課程修了。同年日本IBM入社。技術・サービス部門を中心に担当し、92年米IBMコーポレーション出向。2001年取締役就任。2003年常務執行役員、2007年専務執行役員を経て2010年取締役副社長執行役員製品サービスオペレーション担当に就任。2016年最高顧問に。2017年5月から現職。(写真:陶山 勉)
受講者:トランスフォーメーションについてお尋ねします。時代の変化とともに不採算事業が出てきた場合に、日本企業はうまくハンドリングできていないというお話でした。ではIBMの場合はどのように変革したのでしょうか。なぜ、経営者はそういう局面で事業構造の転換ができたのだと思いますか。
下野:IBMの大型コンピューターで稼ぐビジネスモデルは1990年代前半から変調をきたし、1990年代半ばからトランスフォーメーションの“旅”に出ることになりました。
まず2005年にパソコン事業を中国のレノボに売却しました。当時、パソコン部門の売上高は約1兆円です。失うには大変な額ですね。パソコンもその創世記は技術力での差別化ができましたが、その頃には“組立て&デリバリー産業”になっていました。いくらやっても利益が出ないんです。
もちろん、懸命に努力はしましたよ。エース級のメンバーを大量につぎ込み、なんとかパソコンビジネスで勝ち残ろうとしました。けれど、競合他社との厳しい競争の中でIBMのビジネスモデルに適したレベルの収益は達成できず、レノボさんに事業をお願いすることになりました。その後もPOS(販売時点情報管理)事業を東芝テックさんに、プリンター事業をリコーさんに、小型ディスク事業を日立さんにお願いしました。
産業構造全体が転換し、IT業界でも「モノ」から「コト」への流れが進んでいました。企業としてその流れに対応し、製品ビジネスからサービスビジネスへとシフトしていくには、必要な技術やノウハウを社内で全て調達するのでなく、オープンイノベーションやM&Aを活用していく必要があります。それには投資が必要です。そのためにIBMの将来のコアにならないセグメントからは撤退し、成長分野へ積極的に投資するというやり方が、IBMの中で1990年代以降進められてきました。POSなら東芝テックさんの、プリンターならリコーさんの本業とのシナジーが生まれます。IBMは自らのコア事業への開発投資やM&Aを並行して進めていきました。
ビジネスデベロップメント、事業開発の機能が本社の財務部門や事業部門の役割にきっちり組み込まれていました。IBMの財務は組織も人材も本当にしっかりしていると思います。そこのメンバーが投資銀行などの助言も得て、中長期的な判断をしてきました。IBMは100年の歴史の中で卓越した「オペレーショナルエクセレンス」を持っていると思います。
もちろん、コモディティー化する製品や事業であっても、逆に、場合によっては“全取り”するという戦略もあり得ますね。パソコンのレノボさんや液晶のサムスンさんはそうでしょう。ただ、世界に100の液晶メーカーがあったとして、きっと本当に勝ち残るのは数社だけでしょうから、大半は失敗することになるので、成功の確率はかなり低い戦略だと思います。
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