慶応義塾大学大学院経営管理研究科(慶応ビジネス・スクール)は次世代の経営の担い手を育成すべく、エグゼクティブ向けに特化した学位プログラム「Executive MBA(EMBA)」を開設している。「EMBA」プログラムの目玉の1つが、企業経営者らの講演と討論を通して自身のリーダーシップや経営哲学を確立する力を養う「経営者討論科目」。日経ビジネスオンラインではその講義の一部を掲載していく。

 10月の講義では日本IBMの下野雅承取締役副会長が講義を行った。テーマは「経営変革とリーダーシップ」。日本IBMでの39年間の経験をもとに日本企業と外資系企業、日本人と欧米人の違いなどを独自の視点で分析した。「外資系企業はリーダー志向、日本企業はチームワーク志向」、「米国人は構想が得意だが、日本人は実装が得意」など興味深い解説を行った。

(取材・構成:小林佳代)

<b>下野雅承(しもの・まさつぐ)氏<br />日本IBM取締役副会長</b><br /> 1953年生まれ、大阪府出身。78年京都大学大学院工学研究科修士課程修了。同年日本IBM入社。技術・サービス部門を中心に担当し、92年米IBMコーポレーション出向。2001年取締役就任。2003年常務執行役員、2007年専務執行役員を経て2010年取締役副社長執行役員製品サービスオペレーション担当に就任。2016年最高顧問に。2017年5月から現職。(写真:陶山 勉)
下野雅承(しもの・まさつぐ)氏
日本IBM取締役副会長

1953年生まれ、大阪府出身。78年京都大学大学院工学研究科修士課程修了。同年日本IBM入社。技術・サービス部門を中心に担当し、92年米IBMコーポレーション出向。2001年取締役就任。2003年常務執行役員、2007年専務執行役員を経て2010年取締役副社長執行役員製品サービスオペレーション担当に就任。2016年最高顧問に。2017年5月から現職。(写真:陶山 勉)

人生での多くのディシジョンの中で、2つが非常に良かった

 今日の講義は「経営変革とリーダーシップ」というタイトルをつけました。私の人生は今までのところとても単純で、大学卒業から今にいたるまでの39年間、日本IBMで仕事をしてきました。その経験をもとに経営について、またリーダーシップについて、思うところをお話ししていきたいと考えています。

 おかげさまで私は今、日本IBMの取締役副会長というポストにいます。単純に結果から言えば、私のビジネスパーソンとしての人生はとても幸せなものだったし、ラッキーだったと言えるのではないかと思います。誰でもそうですが、人生においては現在地点に到達するまでに多くのディシジョン(判断、決定)をしています。例えば、大学は理系に進むのか文系に進むのか、就職の際にはどういう会社を選ぶのか、といったことです。

 正直なところ、私の場合、こういった大事な意思決定を、その時の感覚であまり深く考えずに行ったものも少なくありませんでした。ただ幾つか行った重要なディシジョンの中で、2つのディシジョンが非常に良かった。その2つがあったから今の自分があるのだと思っています。

 1つ目の良かったディシジョンは就職の際に、今で言う「IT産業」に入ったことです。なぜIT産業に入ったかというと、大学、大学院とも情報工学科で学んだからです。

 日本で最初に情報工学科ができたのは1970年のこと。京都大学、大阪大学、電気通信大学に設置されたと聞いています。私が京都大学に入学したのは1972年です。情報工学科を選んだ理由はよく覚えていません。高校2年生から3年生にかけて決めたのですが、せいぜい「情報工学という言葉のニュアンスがソフト」とか、その程度の理由でしょう。ナイーブな高校生がなんとなく決めたことです。

「IT産業」ほど劇的に変化した業界はほかにない

 こうして情報工学科で学んだ後には自然な流れでIT産業に就職することになりました。ではなぜIT産業に就職して良かったと思うかというと、これほど劇的に変わった業界はほかにないからです。私が1978年に日本IBMに入った時の環境と、今の環境は全く違います。10年前と比べても全く違う。ものすごく変化の大きな業界に入って面白い経験ができました。これはとても幸せなことだったと思います

 2つ目に良かったディシジョンはIT産業の中でも、外資系の「日本IBM」に入社したことです。これもなぜIBMを選んだのかはよく覚えていません。確か、関西から東京まで面接に行った際に、宿泊するホテルの斡旋とか、そうした扱いが一番丁寧だった。そんな程度の些細な理由でした。本質的な会社のポジションなどには目が行かず、ある意味、非常に浅い判断で入社したのです。

 日本IBMでは、会社が構造的に変化していくプロセスを目の当たりにすることができ、非常に刺激的なビジネス経験ができました。もし、同じIT産業であっても、富士通、NEC、日立製作所といった企業に入社していたら、おそらく私の人生は全く異なるものになっていたことでしょう。どちらが良かったとか、どちらが正しかったということではありません。IT産業の、しかも外資系企業に入ったということが、私の人生に大いなるダイナミズムを与えてくれました。今振り返っても極めて面白い人生だったと思います。

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