親会社の日本電子から、赤字続きで債務超過に陥っていた日本レーザーに送り込まれた近藤社長は、不振企業にありがちな「4つの不良」解消に動き1年目で黒字化、2年で累損一掃に成功する。2007年には自身も大きなリスクを負いながらMEBO(Management and Employee Buyout=経営陣と社員による自社株買収)を断行。社員が輝く仕組みづくりに邁進した。「自分たちの会社」という当事者意識を持った社員は仕事へのモチベーションも高く、ほとんど辞めることがないと説明した。
(取材・構成:小林 佳代)

日本レーザー社長
1944年東京生まれ。1968年慶応義塾大学工学部電気工学科を卒業、日本電子に入社。総合企画室次長、取締役米国法人支配人、取締役国内営業担当などを経て1994年子会社の日本レーザー社長に就任。債務超過だった同社を1年で黒字化し、2年で累損を一掃する。2007年、JLCホールディングスを設立し社長に就任。「MEBO(Management and Employee Buyout=経営陣と従業員による自社株買収)」という手法で独立を果たす。就任以来の連続黒字達成などが評価され、「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞中小企業長官賞、「勇気ある経営大賞」などを受賞。著書に『ビジネスマンの君に伝えたい40のこと』(あさ出版)など。(写真=陶山勉、以下同)
赤字続きの「日本レーザー」社長を引き受ける
1994年、私は日本電子取締役を兼任しながら日本レーザー社長に就任しました。それまでに日本レーザーには親会社の日本電子から4人の社長が送り込まれていました。
私が社長に就任するまでの26年間のうち半分は赤字。バブル崩壊のあおりを受け、私が就任した際は3期連続赤字で債務超過に陥っていました。銀行は親会社が保証しても一切融資しないという方針だったので、私は日本電子から1億円の運転資金を借りて日本レーザーに乗り込みました。
日本レーザーを取り巻く環境は極めて厳しいものがありました。レーザー専門商社である日本レーザーは、海外メーカーと代理店契約を結び製品を売買します。ところが、その契約は一方的に切られてしまうこともあります。他の代理店に鞍替えするケース、海外メーカーが自ら日本法人をつくるケース、海外メーカーがM&A(買収・合併)の対象となり、先方の代理店を活用することになったケースなど様々です。
私が社長になってからの23年間で契約を切られたり、社員が商権をもって独立したケースは実に26社、有力サプライヤだけでも12社にのぼる憂き目に遭っています。海外からの輸入ですから、為替の動向にも大いに左右されます。円高の間は調達コストが下がりますが、円安に振れると急にコストが膨らみます。
「リストラはしない」と宣言した上で、大改革に着手
こういう外部環境の中で利益を安定的に出していくのは容易ではありません。設立以来、赤字に終わった年が多かったのはそういうわけです。では、会社を立て直すために私は何をやったのか。社長に就任した私が社員にまず言ったのはこういうことです。
「バブル崩壊という環境の変化があったとはいっても、債務超過になるのは今までのやり方が悪かったから。やり方を見直すから新しいやり方についてきてほしい。会社を辞めたくない社員は決して辞めさせることはしないから」
リストラはしないから私の方針に従ってほしいと宣言した上で、仕事の仕組みと制度を全面的に見直したのです。
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