退職する社員から問い詰められた

 私は当時、労働組合の委員長を務めていました。会社が置かれた状況を考えれば、抜本的な合理化策を講じなければ会社が存続できないことは明らかです。厳しい労使交渉の末、当時の経営トップは全員退任して責任をとってもらうこと、その一方で希望退職という形で社員も削減することを受け入れるしかありませんでした。何百人も退職していく組合員一人ひとりに対し、労組が集めていた個人別闘争積立金を返還するため、退職面接の場を持ちました。

 30歳になったばかりの私にとって、これはつらい面接でした。一人ひとりと向き合い、「健康に気をつけてこれからも頑張ってくださいね」という一言を伝えます。若い社員たちは「有り難うございます。委員長もこれから良い会社をつくってください」と言ってくれました。しかし、ベテラン社員はそうはいきません。「オレは15歳からこの会社で働いてきたんだ」「どうしてオレが会社の経営の失敗の犠牲にならなきゃいけないのか」「どうして組合に協力して会社を去らなくてはいけないのか」と問い詰めてきます。私には答える言葉がありませんでした。

 彼らからすれば、「会社が経営を失敗しなければ、こんなことにはならなかった。いったい組合は何をチェックしていたのか」という恨みがあります。もっともなことです。

退職面接の時に味わった、つらい思いが原点に

 労組の委員長として私は会社と民主的な労使関係をつくることに心を砕いていました。今思えば、それももちろん大事ではありますが、もっと経営をチェックすることが必要でした。どんなに労使関係が良好であっても、経営が破綻してしまえば組合員の雇用を守ることはできません。会社の経営がしっかりしていなければ社員は幸せにはなれないのです。

 粉飾、不正、偽装、在庫の押し込みなど、おかしいことは常に現場で起きるものです。労組の委員長や書記長が現場をよく見ていれば、経営危機の“芽”に気づいたはずでした。

 経営者は「お金を見た経営」で市場からの評価を高めようとします。その時、労組は「人を見た経営」を追求すべきでした。「お金を見た経営」に「人を見た経営」を融合して、良い会社をつくる努力をすべきだったと思います。

 私が日本レーザーで目指してきた「進化した日本的経営」は、日本電子の労組委員長として退職面接の時に味わったつらい思いが原点になっています。

次ページ 自主再建のメドが立ち、「日本電子」労組委員長を退任