世界大恐慌の後に我が信条誕生

 我が信条ができた43年ごろというのは、29年のウォール街大暴落を機に発生した世界大恐慌の後で、米国の景気が非常に悪かった時代です。どの企業も生き残りをかけて非常に苦労していました。そんな時期に、こうした理念をつくったというのは非常に画期的なことだったといえます。

 我が信条で第1に責任を負うべき存在として挙げているのが我々の顧客や患者さんです。質の高い製品をつくって貢献せよということです。当時としてはとてもユニークだったと思いますが、注文には迅速に対応すること、取引先に適正な利益をあげる機会を提供することなども明記してあります。

 第2に責任を負うべき存在が社員です。待遇は適切で公正なものにしなくてはいけないとか、職場環境は清潔で安全でなくてはならないといったことです。人材の能力開発と平等な昇進機会、有能な管理職の任命なども書いてあります。いずれも、当時としてはとても画期的な内容です。

 第3の責任が地域社会。これも非常に特徴的です。その地でビジネスをさせてもらっていることを感謝し、きちんと税金を払い、社会事業や福祉に貢献する“よき企業市民”となろうということです。環境や資源についても言及しています。43年当時、こんなことを企業理念でうたっていた企業はどこにもありませんでした。

 我が信条は、この3つの責任をしっかりと果たして初めて、株主が正当なリターンを得ることができると書いています。もちろん株主も大事なステークホルダーですから、企業として、株主に対する責任も果たさなくてはなりません。けれど、それには健全な利益を生むことが大前提。利益を生むには新しいアイデアに挑戦し、研究開発を続けなくてはなりません。

 時には失敗することもあるでしょうから、備えも必要になります。我が信条はこういうことまで書いています。

 読みようによっては、我が信条は株主を牽制するものとも見えます。「まず大事にすべきはお客さんであり、社員、地域社会。まずはこれらのことを優先します」…。こう言っているようなものです。

  43年に我が信条をつくったのは、ロバート・ウッド・ジョンソン・ジュニアという創業者の息子です。彼はほとんどすべての株式を持つ大株主でしたが、会社を上場する予定でした。上場するにあたり、株主に対して「欲深いことを言うんじゃない、我々はまずお客さんと社員と地域社会を大事にするんだ」と牽制する意味合いがあったというのが我が信条誕生の裏話のようです。

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