4枚のホワイトボードに、やるべきこと書き続けた

受講生B:もう1点お聞きしたいのですが、加藤さんは揺れが来た時、学園を守るためのファーストアクションで何をしましたか。

加藤:最初にしたことといえば反射的に防災服に着替えたことでしょうね。それでスニーカーを履いてリュックを背負って多賀城校舎まで行きました。宮城県沖地震は30年に1回の頻度で、間違いなく来ると思っていましたから、それなりの準備はしていました。常にリュックの中に懐中電灯、ラジオ、電池、水、非常食などを全部入れて備えてありました。

 私の自宅は多賀城校舎から歩いて約5分のところにあります。宮城県は周期的に強い地震に襲われる土地ですから、万が一に備えてその場所に構えていました。自宅までの移動には普段、秘書が運転するクルマに乗っていましたが、地震で街の中がどんな状況になっているのかを見たかったので多賀城校舎までは歩いて行きました。

 建物は倒壊にいたっていないし、火災は起きていないことが確認できました。こういう状況を知っておいたことも、後に様々な判断をする助けになったと思います。

 ここで私から次の質問です。先ほど、大震災に遭遇した際に最初に考えることを聞きましたが、今度は「その次に考えるべきことを順番に挙げてみてください」。

 その時、現地はどういう状況だったか。激しい揺れの後、しばらくすると津波がやって来ました。多賀城校舎は仙台港から2キロメートルほど。津波といってもせいぜい1メートルほどだろうと高をくくっていたら、津波は発電所、工場などを次々と破壊し、どす黒い海水が学校近くに押し寄せてきました。3階に避難させていた生徒たちも一時騒然としました。しかし幸いにも海水が校内に浸入する様子はありませんでした。

 さて、皆さんが学園のトップだったら次に何を考えますか。これはいくらでも考えられますよね。

 ここでは私が考えたことの一部を紹介します。 

 私はなんでも手帳に書きとめる習慣があります。震災の時も思いついたことを手帳にどんどんメモしていきました。多賀城校舎の職員に言ってホワイトボードを持ってこさせて、そこにやるべきことを書き込みました。以下のようなことです。

○生徒を宿泊させるための飲料水、食料、暖を取るための毛布や防寒具の確保

○宮城県沖地震を想定して準備していた井戸水を利用したトイレの使用開始と自家発電機の設置

○宿泊する生徒の名簿づくりと、多賀城校舎に避難してくる宮城野校舎の生徒の受け入れ準備

○保護者、家族への連絡方法として緊急伝言サービスの活用を促す

○明朝帰宅可能とするための交通手段としてスクールバスと教職員の自家用車の運行計画を作成

○2つの保健室が中心となり、教職員を含めた体調不良者、精神的ダメージを受けている者への初期ケアマネジメントを確立

○被害甚大である前提で3月21日まで臨時休校とすることを生徒・保護者に伝える。教職員には特別休暇を与え、12日に全員帰宅させ家族や家庭の対応を優先させる

○学校再開に向けたプロジェクトチーム編成のための人選と業務が可能となる施設の準備

○宮城野校舎を緊急修繕するための取引業者への連絡手段の確保

○入試部が中心となり入学予定者への連絡方法の確保

○現金支払いが急増すると考えられるため多賀城事務局で準備

○翌日に控えた通信制課程の卒業式を延期し、卒業証書の授与方法を検討

 など……

 こうした箇条書きの項目が、4枚のホワイトボードを埋め尽くした頃、ふと我に返ると、翌3月12日の朝になっていました。

「何をやっても必ず異論とかクレームは出るものなんです。100点満点の対処なんかない。だから、覚悟を決めてやるしかないのです」
「何をやっても必ず異論とかクレームは出るものなんです。100点満点の対処なんかない。だから、覚悟を決めてやるしかないのです」
まずは会員登録(無料)

有料会員限定記事を月3本まで閲覧できるなど、
有料会員の一部サービスを利用できます。

※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

※有料登録手続きをしない限り、無料で一部サービスを利用し続けられます。