慶応義塾大学大学院経営管理研究科(慶応ビジネス・スクール)は次世代の経営の担い手を育成すべく、エグゼクティブ向けに特化した学位プログラム「Executive MBA(EMBA)」を開設している。「EMBA」プログラムの目玉の1つが、企業経営者らの講演と討論を通して自身のリーダーシップや経営哲学を確立する力を養う「経営者討論科目」。日経ビジネスオンラインではその一部の授業を掲載していく。
6月の経営者討論科目では加藤雄彦仙台育英学園理事長が「東日本大震災から学ぶ教育機関のリスクマネジメント」というテーマで講義を行った。未曾有の震災に直面した時、加藤理事長は100年の歴史を誇る教育機関のトップとして何を考え、どんな行動を取ったのか。リスクマネジメントの1つの貴重なケースを示した。
(取材・構成:小林 佳代)

仙台育英学園理事長
1958年宮城県仙台市生まれ。1980年慶應義塾大学経済学部卒業。1982年慶應義塾大学大学院経営管理研究科(慶応ビジネス・スクール)修了。1982年4月仙台育英学園事務職員兼仙台育英学園高等学校教諭に。1989年6月学校法人仙台育英学園法人事務局長、1996年7月仙台育英学園秀光中学校(現秀光中等教育学校)校長、仙台育英学園高等学校校長に就任。1998年6月仙台育英学園副理事長を経て2007年6月より現職。(写真:陶山勉、以下同)
東日本大震災について初めて語る
今日は「東日本大震災から学ぶ教育機関のリスクマネジメント」というテーマでお話しします。震災では学園も私自身も大きな被害を受けました。周囲では親しい方がたくさん犠牲になられています。私にとっても非常につらい体験で、今も不意に当時のつらい記憶がよみがえります。PTSD(Post Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)なのかもしれないと思うぐらいつらい体験でした。
そんなこともあって、震災についてはこれまで文章ではたくさん書いてきましたが、多くの人の前で口に出して語ったことはありません。今日は私自身が卒業した慶応ビジネス・スクールの講義ということもあり、覚悟を決めてやって参りました。
震災から6年が経過しました。私は仕事柄、仙台市内の中学校を訪問することが多いのですが、訪問先の校長先生たちはみなさん「今の中学校1年生は震災のことをあまり覚えていない」とおっしゃっています。地震や津波に備えた避難訓練をしようとしても、ピンとこない子供が多い。どうも身が入らないらしいんですね。
というのは、今の中学校1年生は、東日本大震災が起きた2011年3月時点では、まだ幼稚園児なのです。家族や親戚が亡くなったとか、自分の家が流されたといった壮絶な環境にあった子は別ですが、そういう体験をしていない子供たちはもはや震災のことを記憶にとどめていません。全員が同じように被害を受けたわけではないので、震災に対する意識に差が出てきているのです。これが「風化」ということなのかもしれません。我々教育機関は決して震災をこのまま風化させてはいけないということを改めて強く感じているところです。
25年にわたる校舎整備が終った途端、東日本大震災に襲われた
震災の話に入る前に、仙台育英学園について少し説明しておきます。
仙台育英学園の創立は1905年。私の曾祖父である加藤利吉が故郷である福島県会津若松市から仙台市に出て私塾「育英塾」を開塾したのが始まりです。後に「至誠」「質実剛健」「自治進取」を建学精神とする学園を設立しました。私は4代目の理事長です。
現在、仙台育英学園が設置している学校は2つ。仙台育英学園高等学校と秀光中等教育学校です。仙台育英高校には全日制課程と広域通信制課程を設けています。全日制ではスクールバスが計23台走行。仙台市のある宮城県中部地区はもちろん、県の全域から生徒を集めています。通信制過程としては青森(仙台育英学園高等学校 広域通信制課程 ILC青森)や沖縄(同 ILC沖縄)にも学校をつくっています。
仙台育英高校は仙台市内に宮城野校舎を、宮城県多賀城市に多賀城校舎を持っています。多賀城校舎から徒歩5分のところに寮施設もあります。多賀城校舎は2007年に創立100周年を迎えた際の記念事業の一環として25年の歳月をかけて整備してきました。
私は、生涯の使命という思いでこの整備事業に取り組んでいました。無事整備が済み、借金もすべて返済し、「これでやっと楽になる」と安堵しかけていたところに、東日本大震災が来てしまったわけです。

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