(前回から読む)
戦後、高度経済成長を成し遂げた日本企業の経営者は大胆にリスクを取り世界に打って出て行くイノベーティブな存在だった。ところがバブル崩壊を機に経費ばかりに目を向ける経営が横行。経済はシュリンクしてしまった。宮内氏はかつての製造業に代わって経済の中心を占めるサービス産業を儲かる事業にすることで日本経済は甦ると指摘。今こそ、経営者が頭を切り換える必要があると強く訴えた。
(取材・構成:小林 佳代)

オリックス シニア・チェアマン
1935年神戸市生まれ。1958年関西学院大学を卒業後、米国に留学。1960年ワシントン大学でMBA(経営学修士)を取得。同年日綿実業(現双日)入社。1964年オリエント・リース(現オリックス)に入社。1970年取締役を経て、1980年代表取締役社長・グループCEOに就任。2000年代表取締役会長・グループCEO、2003年取締役兼代表執行役会長・グループCEOを歴任。2014年から現職。(写真=陶山 勉、以下同)
ここまで、私がオリックスで経験してきた企業経営の話をしてきました。ここからはテーマをミクロからマクロに転じ、日本経済についてお話ししていきます。
さて、この中で1990年以降に社会人になった人はどれぐらいいますか? (講義を受けている多くの人が手を挙げる) 大半の方々がそのようですね。オリックスでも、今では中間管理職のほとんどが1990年以降に社会人になったという人たちです。
以前、彼らと話していて驚いたことがあります。「自分が社会人になってから、日本経済が良かったことは一度もない。停滞しているのが当たり前で、その中でいかに前向きにビジネスをつくるかが問題だった」と語ったのです。おそらく皆さんも同じ認識かもしれません。
私との世代間のギャップが大きいことを感じました。戦中、戦後の時代を経験し、日本経済の良かった時期も悪かった時期も知っている、私のような古い人間からすると実に驚くべき話です。ですから、今日のような機会に、私のような古い人間が、日本経済や日本企業の経営について、長期的な視点からのお話しをしておくのも意味のあることではないかと思います。
敗戦時、私は10歳でした。日本は焦土と化し、貧しく、食べるものもなくてどうにもたち行かなかった当時の状況をはっきりと覚えています。「なんとか飯を食おう」「掘っ立て小屋でいいから、建てて住もう」というところから日本の復興は始まりました。
1956年に刊行された「経済白書」には、太平洋戦争後の日本の復興が終了したことを指して「もはや『戦後』ではない」と記されました。10年かけて、ようやく焦土から戦前のレベルに戻り、国の再生に前向きに取り組み始めたのです。
そこから1990年にいたるまでの35年間、日本経済は伸び続けました。前半の「高度経済成長期」は年平均約9.2%という急成長を、後半の「安定成長期」はそれよりも減速したとはいえ年平均約4.1%という手堅い成長を遂げました。経済成長と共に世界第2位を誇る経済大国となり、1990年の頃には1人当たりGDP(国内総生産)は世界でも最高レベルを誇りました。
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