慶応義塾大学大学院経営管理研究科(慶応ビジネス・スクール)は次世代の経営の担い手を育成すべく、エグゼクティブ向けに特化した学位プログラム「Executive MBA(EMBA)」を開設している。「EMBA」プログラムの目玉の1つが、企業経営者らの講演と討論を通して自身のリーダーシップや経営哲学を確立する力を養う「経営者討論科目」。日経ビジネスオンラインではその一部の授業を掲載していく。
5月の経営者討論科目では世界最大手のカードブランド、ビザ・ワールドワイド・ジャパン元会長の岡本和彦氏が「“松下幸之助イズム”はどこまで通用したか」をひとつの切り口として、講演を行った。松下電器産業(現パナソニック)グループで社会人としてのスタートを切った岡本氏の経営のベースには「松下幸之助イズム」が根づいているという。ビジネスライフの様々な場面で松下幸之助イズムの影響があったと、自身の歩みを振り返った。
(取材・構成:小林佳代)

ビザ・ワールドワイド・ジャパン 元会長
1970年慶応義塾大学法学部卒業。同年松下電器産業(現パナソニック)に入社。アジア、中東、アフリカ、欧州、南北米でのマーケティング及び電卓・キャッシュレジスターの営業部門を担当。1984年米国スタンフォード大学ビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得。その後、バング・アンド・オルフセン・ジャパンで代表取締役社長兼CEOを務め、アメリカン・エキスプレス・インターナショナルなどを経て、2006年8月ビザ・インターナショナル入社。日本次席代表に就任。2008年12月同社代表取締役社長。2010年9月よりサイバーソース代表取締役を兼任。2015年9月ビザ・ワールドワイド・ジャパン会長。2017年1月、GMOペイメントゲートウェイ顧問。同年6月同社社外監査役。 (写真:陶山勉)
松下通信工業の電卓事業部でキャリアをスタート
私のビジネスライフは47年にわたります。そして長きに渡り経営に携わってきました。今日はこれまでの歩みをたどりながら、その中で見聞きしたエピソードや、経営者として得た教訓などをいくつかご紹介していきます。
1970年、大学卒業後に入社したのは松下電器産業(現パナソニック)です。グループ会社の松下通信工業(現パナソニック モバイルコミュニケーションズ)の電卓事業部に配属されました。1982年、社内留学制度を活用し渡米。米スタンフォード大学ビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得しました。とても有意義な楽しい2年間で、それ以降も私の社会人生活の大きな財産になりました。
1984年に帰国。その後、3年で松下を辞めました。スタンフォード大での留学時代、起業家精神が浸透したシリコンバレーの空気に触れ、自分自身で会社を経営したいという気持ちがわき上がったからです。こうして松下を離れましたが、松下に在籍した17年間は確実に私のビジネスライフの基盤をつくってくれました。
私が松下に入社した時、創業者の松下幸之助は70代後半。現役の会長でした。入社式、配属式などでは必ず幸之助が登壇して話をしていました。その後、幸之助は数年で相談役となり第一線を退きましたから、私たちは幸之助の肉声を聞けた最後の世代といえます。
松下電器の「7精神」に心から納得
松下幸之助は「松下電器が遵奉すべき精神」として、「産業報国」「公明正大」「和親一致」「力闘向上」「礼節謙譲」「順応同化」「感謝報恩」の7つの精神(参考:「私たちの遵奉すべき精神」=パナソニック内ページ)を挙げていました。通称「7精神」。松下の社員は毎日唱和するので、みな諳(そら)んじることができます。社内では経営の根幹として完全に定着していました。
ただ入社したばかりの新人社員はそうではありません。私が入社した当時は大卒、高専卒で計860人ほどの新人社員がいましたが、入社直後、同期社員たちはみなこの7精神のことをみな「なんだか“まやかし”のようで信じられない」と言い合っていました。教育係だった入社5~7年目ほどの主任クラスの社員に「本当にこれを信じているんですか?」と突っ込んで聞いた者もいました。兄貴分である教育係の社員たちは「2~3年するとわかるよ」と笑いながら返していました。彼らも入社した頃は疑問に思っていたけれど、1、2年たつうちに納得できるようになったというんですね。
その答えを聞いてもまだ新人社員の私たちは半信半疑でした。ところが実際に1年、2年と会社で過ごす間に、本当に心から納得するようになっていきました。それぐらい7精神は松下の組織に浸透していたのです。どの部署にいる社員も、日々、誰もがこの精神に基づいて仕事を進めていました。
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