北米の統括会社「ホンダノースアメリカ」を設立

 さらに、北米の統括会社としてホンダノースアメリカ(HNA)を新たに設立しました。目的は大きく3つありました。

 第一は事業規模の飛躍的に拡大した北米事業全体を、よりシンプルで効率的な経営に移行するためです。各現法に属していた共通のサポート機能を集約し、北米ホンダの事業戦略を牽引する役責を担う組織としました。

 第二は従来、営業、生産、研究と機能別に運営していた業務体制を、四輪事業、二輪事業、汎用事業、航空機事業というように商品事業別に運営するように変更し、それぞれに事業責任者を設定し権限委譲できる体制として、意思決定のスピード、質の向上を目指しました。

 第三として、それまで現法の生産工場には、北米ホンダとしての大きな事業運営方針というものがなく自主独立的に運営されていましたが、より総合力が発揮できるように緩やかな「連邦制」に移行しました。これにより自主独立運営を尊重しつつも、大きな戦略の方向性や重要施策を共有化できる、責任ある権限委譲体制へ移行したのです。

 こうした施策は、グローバル企業としての総合力を高めながらも、可能な限り決裁権限を委譲し、ホンダフィロソフィーのエッセンスを復活させたいとの動機が根底に有りました。

「東日本大震災の時もタイの洪水の時も真っ先に『解雇はしない』という明確なメッセージを打ち出しました。この結果、『ホンダはやはりホンダフィロソフィーに基づいた会社だ』という趣旨の感想をたくさんもらいました」

震災、洪水による大幅減産でも「解雇なし」貫く

 こうした改革の中で、ホンダフィロソフィーに基づく経営の真価が問われたのが東日本大震災とタイ大洪水の影響で長期の生産調整を余儀なくされた時です。

 東日本大震災はリーマンショックによる減産体制から少し盛り返し、ようやく一息つけそうだと思った2011年3月に起きました。サプライチェーンに問題が生じて車が生産できず、3カ月間ぐらい大幅減産を余儀なくされました。

 そこから少し回復した2011年秋、今度はタイで大洪水が発生しました。低い土地に位置していたホンダの工場は甚大な被害を受け、再び2カ月間ぐらい大幅減産となってしまいました。

 2011年は北米ホンダのフル生産能力の約40%の稼働が、できたかどうかという厳しい状況に追い込まれていました。

 この危機的な状況に、HAMでも工場を閉鎖してアソシエートをレイオフしようと言った幹部もいました。しかし私はリーマンショックの時とは異なり、生産回復への条件がはっきりしていたので「断じてそれはできない」と突っぱねました。

 HAMは事業運営上で自由度が高い方が会社とアソシエート相互にとって有益であるというコンセンサスから、労働組合を持たずに事業運営を続けてきた会社です。そのための条件として、アソシエートの雇用維持はできる限り努力する、待遇もビッグ3や他の日系自動車の動向、あるいは地域の物価水準を考慮して他社に遜色ないものを維持することについてコミットしてきました。

「ホンダは我々をリスペクトしてくれた」

 私はこうした歴史も踏まえ、危機の時こそ会社と従業員が今まで培って来た相互信頼の精神を確認する時だと思い定め、震災の時も洪水の時も真っ先に「レイオフはしない」という明確なメッセージを打ち出しました。

 稼働率30%ほどの期間が3カ月も続き、赤字は膨らむ一方でした。その間も「レイオフなし」の方針を貫いたことはアソシエートから非常に感謝されました。

 「ホンダは我々をリスペクトしてくれた」という趣旨の声をたくさん聞きました。

 HAMではこの苦しい時に少量でも造り続けた経験の蓄積、そして一致団結したアソシエートの相互信頼と仕事へのプライドが、翌年の「‘13モデル アコード」での過去にない素晴らしい立ち上がりという成果に繋がったと確信しています。