意思決定の仕組みが、成長スピードに合わなくなった

 バブル後にホンダが経営危機に陥ったのは、1980年代後半、過大な3大プロジェクトに挑んだことが1つの要因だと説明しました。「イケイケ」のバブル期だったとはいえ、なぜこれほど無謀な挑戦をしてしまったのか。その背景には、ホンダの成長スピードに、ホンダ独特の意思決定の仕組みが対応できなくなったことが大きく影響したと私は考えています。

 ホンダは「文鎮型」のフラットな組織を特徴としていました。ほとんどの仕事は組織から選抜されたメンバーで構成するプロジェクトチーム単位で動きます。プロジェクトチームのリーダーが直接経営トップに報告し、決裁を仰ぐ形でプロジェクトが進んでいたのです。

 「GO」サインが出れば、すべての権限はプロジェクトチームに権限委譲されます。プロジェクトチームのメンバーには当然、組織上の上司がいますが、その上司の評価をあまり気にするようなことはありません。とにかく「経営トップに評価される良い仕事をしさえすればよい」いうマインドで仕事をしていました。

 新たなプロジェクトは企画コンセプトの承認や、アイデアの確からしさなどを評価する評価会にかけられます。創業者の本田宗一郎さんが経営トップにいた時には、コストだの競争力だのと言う前に、真っ先に「そのアイデアは独創的なものなのか」「物まねじゃないか」「みんなが夢を持てるか」と問いかけていました。

 さらに、本田宗一郎さんの薫陶を受けた経営陣、中堅幹部からも、「世のため、人のためになっているか」「お前が考える『あるべき姿』はなんだ」、といった一見、青臭いと見られかねない議論が日常の業務の中に定着していたのです。

 こうした経営幹部とのダイレクトな議論や、リーダーの方々の発言や行動から、ホンダという会社が何を大切にしているのか、理念やフィロソフィーとはどんなことなのかについて言葉としてではなく、実感として理解できたのです。

「あるべき姿を考えろ」「人まねするな」という創業者の教え

 ホンダが初めて産業用ロボットを開発するにあたってこんなエピソードがありました。

 当時は4輪車のホワイトボディーのスポット溶接作業は大変な重労働でした。これを見た本田さんは、「こんな作業を従業員にさせてはいけない」と、即座にロボット開発を指示されました。

 しかし、ホンダエンジニアリングの開発チームは、アメリカなどで先行導入されていた溶接ロボットをモデルとして初号機を開発したことから、本田さんに「人のまねなんかするな!」と怒鳴られたということです。

 本田さんが言わんとするところは、「人間が行う作業をそのまま機械に置き換えても、生産性で優位性は生まれない」ということでした。単に人の仕事を機械に置き換えるという発想ではなく、ホンダの生産ラインはいかにあるべきか。その「あるべき姿」から発想し、自分たち自身で一番良いものを考えるべきだというのが本田さんの教えでした。

経営トップへの負荷が重くなりすぎた

 本田さんの指摘がきっかけとなって、チームは小型で、作業内容に特化した独創的なロボットシリーズを開発しました。重労働作業からの解放とともに、人間の作業よりも3倍以上の生産性を実現することができたのです。こうした「あるべき姿」論から発想したホンダの数々の生産技術は、個々では一見不合理にみえても工場全体として融合すれば大きな競争力を生む原動力となっていたのです。

 創業者、あるいは創業者の哲学を引き継いだ経営トップとのダイレクトなコミュニケーションで絶えず「あるべき姿を考えろ」「人まねするな」と言われ続けたことは企業文化の形成、継承、さらにはスピード経営の実現にきわめて重要な役割を果たしていました。ホンダ独自の文鎮型組織と評価会制度は素晴らしい経営手法であったと私は思います。

 しかし、ホンダの事業規模拡大につれて文鎮型評価制度の持つ良い面が変質していきました。それは事業規模の拡大により、プロジェクトの絶対数が増えるとともに、広範囲な業容へのより深い造詣がもとめられる様になったことが原因でした。量、質ともに、文鎮組織の要である経営トップへの負荷が重くなりすぎたのです。

 トップが決裁にかけられる時間は短くなり、議論も思考時間も足りないまま決断せざるを得なくなったため、判断の質が低下してしまいました。経営トップの多忙なスケジュールを縫って評価の時間を確保しようとしたことで、経営のスピードも落ちてしまいました。また文鎮型評価制度を補完するために重要な役割をはたしていた、経営陣と機能組織リーダーとの方針、情報の共有化が形骸化していたことも現場の実態を顧みない決定がくだされた大きな要因でした。

 3大プロジェクトの強行による大混乱がきっかけになりましたが、これはカリスマ的創業者を中心とした、中小企業的な経営手法の延長で運営して来た意思決定手法が、事業規模の拡大により制度疲労に陥ったことが原因であったと私は思っています。

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