ホンダエンジニアリングは四輪、二輪、航空機などすべての製品に関連した生産技術の研究開発や生産設備製造を行っていますが、私が担当したのは4輪車体の骨格ボディーの生産ラインの企画、製造でした。いかに効率良く自動化を実現しながら、いかに良い品質の4輪ボディーを生産するかを追求してきました。

 入社後10年ほどは独創的なモノを生み出そうという意識の強い風土の中で、私自身も自由にアイデアを提案し、そのアイデアを生産ラインで実際に実現できるというわくわくするような環境の中で仕事に向き合うことができたと感じています。

ホンダの良き時代、経営危機の時代、世界展開の時代を見てきた

 そうしたエンジニアとしての良き時代と、その後のホンダの経営危機の時代、そして本格的なグローバル展開の時代を、現場の担当者として、製作所所長として、最後には経営メンバーとして、異なる視点からホンダを見てきました。このため、ホンダの企業文化の風化について少しは客観的な見方でのお話ができるのではないかと思っています。

 ホンダの4輪事業概要についてですが、ホンダの中で北米は非常に重要な位置を占めています。現在ホンダがグローバルに生産する四輪車は460万台~480万台。日本の生産能力は100万台ですが、実際に生産しているのは80万~90万台ほどです。中国では現在90万台を生産していますが、今年中には100万台に到達するだろうといわれています。これに対して北米は約200万台で、ホンダがグローバルに生産する四輪車の40%を占めています。

 そうした大きな役割をになう北米の多くの生産現地法人のなかでも歴史が長く、中心的な役割を担っていたHAMに私は2009年春に赴任しました。リーマンショックが起きてから半年ほどたった時期でした。当時はリーマンショックに端を発する景気低迷により、工場は大幅減産を余儀なくされ、希望退職者を募るほど経営環境が悪化していました。

 実はリーマンショック直前まで、北米ホンダは絶好調でした。2005年、北米でトラック市場に参入。「シビック」などの小型車も燃費の良さが受け、爆発的に売れていました。そのような環境下で、北米ホンダはカナダにエンジン工場を、また米インディアナ州に四輪工場を新たにつくるという大型投資を断行します。ところが、まさにこれらの工場が稼働開始した直後に、リーマンショックが襲いかかりました。リーマンショックによってホンダが受けたダメージは競合他社とは比較にならないほど大きかったはずです。

 私がHAMに赴任した際、工場のラインを回ると、あちこちに希望退職を募る窓口があり、それぞれに従業員が何十人も並んで申し込みをしていました。その異様とも言える光景を目の当たりにして、「これは本当に大変な状況に追い込まれた」と不安感に捕われたのを覚えています。

途方に暮れる私にベテラン工場長が教えてくれたこと

 ホンダは従業員のことを「アソシエート」と呼びます。HAMではリーマンショック後の厳しい環境の中、重要な仕事を任されている「キーアソシエート」の10%以上が連続的にHAMを去って行きました。

 こうなると残ったアソシエートも不安でたまらなくなります。アソシエートたちはみな浮き足立ち、HAMのラインは大いに混乱していました。現業部門とサポート部門との間にははっきりとわかるほどの対立が生じ、製造業の基本である5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)にすら乱れが見えました。

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