若き利休のふるまいにみる才気

生形:紹鷗が、今の茶の湯の原型を作ってくれているんですよ。書院と草庵の折衷案みたいなものを考えて。四畳半は広間としても使えますし。そこに一つだけ室町将軍がかつて所蔵したような「名物」を床に飾って、その他は身の丈でやりましょうと。いわばプチブル的な楽しみでしょうかね。

木下:プチブルですか。でも珠光の影響を受けて。

生形:そうですね。紹鷗は珠光の“人作り”も理解していますし、「茶禅一味」という言葉も主張しているんです。そんな紹鷗による四畳半の茶が、堺の町で一世風靡するんです。

整えられた古の美しい“ふるまい”を学ぶ

木下:その紹鷗のところに利休が弟子入り出来たのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

生形:堺に行かれたら分かります。二人の家は歩いて行けるくらいの近所ですから。堺の商人たちは自治をするので、「会合衆(えごうしゅう)」と言うんですけど、有力町衆の彼らは顔見知りですし、茶は、社交の必修科目でしたから。

木下:自然に。

生形:はい。『三斎公伝書』には、次のような伝えがあります。四畳半が大変に流行った頃、皆、紹鷗の茶に招かれたいと希望したのですが、最初に招かれたのは十八歳ぐらいの利休(当時、与四郎)だったと。

 ところが与四郎は、「一日待ってください」と申し出たんです。そんな偉い先生に呼ばれたら、普通は飛んでいくのでしょうけど。「一日待ってください」と言って、京都で法衣を作り、剃髪して、紹鷗のもとを訪れたと。紹鷗は「さてもさても」と感激したということです。

木下:やっぱりこの子は違うなというのがあったのでしょうね。二人の間には芸術的に響き合うものがあったと思います。

 そして侘び茶の系譜は、珠光、紹鷗、利休と続いていくわけですね。

生形:そうです。

木下:ところで「利休」という名の由来については。

生形:諸説ありますけれど、やっぱり「利」というのは「鋭い」「鋭利」という意味ですから。「己の鋭さを休める」と。そういう意味合いだと思います。古くなった錐(きり)、「老古錐」というものに例えて、“鋭さを超えた”境地を意味しているという説がありますね。

*1月12日公開「信長と秀吉、そして利休の至高の美意識」に続く