書の本質と魅力、見方について

木下:最後にもう少しだけよろしいでしょうか。これまで書道に全く興味を持ってこなかったような方々に向けて、書の魅⼒について端的にお伝えしたいということがあります。

島谷:何より、文字が読めない、文章が読めないという一点に捉われて、書を鑑賞することを諦めている人が、あまりにも多いということはありますよね。

木下:本当は、読めるか読めないかということは、書の魅力に迫る上で、あまり重要なことではないんですよね。

島谷:文物には、残されてきた価値というものがありますので、それに対して敬意を持ちましょうと。ただ、それが分からなかったら、読めなくてもいいので、書いた人の美意識を追体験するように観てみましょうと、それくらいの感じでいいと思います。

木下:書の鑑賞は、それこそ考古学的な面白さだったり、古い文化遺産であるお寺などを巡るような楽しさとどこか似ていますよね。

島谷:あと分かり易い例えとしてお話しますと、コンサートは音大で学んだ人ばかりが行っているわけではないですよね。ポール・マッカートニーにしても嵐のコンサートにしても、五線譜が分かる人がどれ程行っているかと言ったら、楽曲を聴いてそれを音符に落とせる人って、ほとんどいないと思うんです。

木下:絶対に感覚で楽しんでいますよね。海外のアーティストなら、英語が分からなくても楽しんでいるということもあります。

島谷:そう、感覚ですよね。書も、文字のバランス、筆勢、余白、にじみやかすれ、そういった造形的なことや、“文字の景色”を感覚として捉えて、心地良さを感じたり、楽しんだりするということでいいんです。

木下:まさにそうですね。

島谷:まずは、ぱっと見で感じてもらって。その後で、書の文化的な背景が分かるともっと面白いんですが、でもそれも、例えば歌詞が何を示唆しているんだろうとか、演奏的にどういう技を使っているんだろうとかを考えるのは、もうプロに任せておいて。

書は内容を理解していなくても、感覚で楽しめるもの

木下:それから、書には「この人の字が好き!」という、そんな感情を抱くことがありますよね。

 これも音楽の例えになりますけれど、このロックアーティストが好きだということと同じですよね。たまたま私は学生時代に、ロックアーティストではなくて青山杉雨先生の書のファンになってしまって。それを継承されている師匠の髙木聖雨先生の書も好きですし。仮名では高木聖鶴先生の書も本当に惚れぼれします。

島谷:まずは好きかどうかでいいんです。それはすごく大事なことですよね。

木下:最後になりますが、書の“美しさ”を一言で言うならば、整えようとして書いたものということではなくて、例え崩れた書であっても、凛とした雰囲気、佇まいを持っている、つまり“気品”があるということだと思うんです。

 そしてそれは、書かれている言葉や文字の意味とは別に、書に表れてくるものですよね。

島谷:答えとしては、書の魅力というのは、読める読めないではなくて、上手い下手ということだけでもなくて、人間性が表れた“格調”を肌で感じるということです。

*1月27日公開予定「先人に学ぶ“守破離”の極意」に続く