壁面芸術としての「書作品」の確立

木下:一方、こうした中国書法への展開とは別に、仮名の分野では平安朝の格調高い仮名「上代様」が、再び見直されるようになったということもありますよね。

島谷:華族や大名家の名品を実査し、平安期の名跡を研究する「難波津会(なにわづかい)」が明治二十三年(1890)に出来て、明治二十九年にはそのメンバーで古筆研究家の大口周魚(おおぐちしゅうぎょ)によって、あの「本願寺本三十六人家集」も発見されたんです。

木下:それは昭和になってから断簡されて、「石山切」としても有名ですよね。

島谷:江戸時代の光悦たちが王朝仮名に回帰したように、そういった古筆を復興させようという気運が、明治でも出てきたんですよね。

 そして大正、昭和となって、大口に学んだ尾上柴舟(おのえさいしゅう)という人が提唱して、平安時代の「粘葉本和漢朗詠集」が圧倒的に評価されて。「高野切本古今和歌集」なども仮名の書家たちがこぞって書くようになったんです。

木下:芸道という観点で言えば、明治以降、茶道は、教育の一環としての“女子の嗜み”となって、その本質が変わっていったところがあると思うんです。華道はそれとともに、個性を重んじる西洋文化の影響も受けて、独創性を求めて違う方向にも進んでいって。

 それで、書道はと言うと、江⼾時代の寺⼦屋とか、世襲による“家元制度”も無くなって。一般教育以外に、学術として古典を学び、その上で⾃分の書を“作品”という有形として残そうと、そんな意識を持った書家がどんどん出てきました。

 この背景には、「芸術」という⾔葉も明治時代に出来た⾔葉のようですが、⻄洋から“アーティスト”という概念が⼊ってきたということもあると思います。

鑑賞環境の変化は、書き手の意識と表現スタイルを変化させた
(photo by nanaco、以下 人物写真も同)

 それから、「東京国立博物館」が日本で一番最初(明治五年に創設)の博物館ですけれど、このような博物館や美術館が出来た影響もありますよね。

 「帝展(現 日展)」といった同一空間に大量展示される“コンクール”も行われるようになって。

島谷:展覧会などで書を掲出するようになると、書は“壁面芸術”というものになってくるわけですから、仮名の分野では、上代様をそのままの“小字”で書いていたのではもたないということで、戦後になると昭和三十年代頃より「大字仮名(だいじがな)」という運動も興ってくるわけです。

大字仮名作品は、日本書道史における現代の新風と言える
高木聖鶴 筆/「あらたまの」(成田山書道美術館)

 安東聖空(あんどうせいくう)、日比野五鳳(ひびのごほう)、内田鶴雲(うちだかくうん)といった人たちが出てきて。筆線の強さだったり、暢達な感じを大切にしようということで、伝 紀貫之の「寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)」などがまた注目されました。(参照「伝 紀貫之 筆/寸松庵色紙(秋のつき) 文化遺産データベース)」

 完成された優雅典麗で、格調高い仮名だけでは物足りなくなって、鎌倉時代の伝 西行の「一条摂政集(いちじょうせっしょうしゅう)」とか、ちょっと崩れた仮名にも魅力を感じるような機運が出てきたんです。

木下:こういった作品は、古の時代と表現方法は異なっていても、書の本質は継承されていますよね。

 ただ、明治以降、これは“書壇”ということになると思うのですが、“漢字”と“仮名”という分野が別々に確立されていったということがあります。

島谷:現在は大きく言って、漢字作家、仮名作家と分かれていますけど、江戸時代まではそういう考え方は無いですからね。例えば平安時代の行成も、漢字を書いた時と、仮名を書いた時の意識というのは、美意識としては同じだったと思うんです。なので、漢字と仮名というものをきっぱりと分けない方がいいような気がするんですよね。

 漢字にも日本人らしさというものは入りますし、もちろん仮名にも日本人らしさはあるわけです。余白とか連綿とか、そういうものは漢字にも仮名にもあって。