言霊思想と古の日本人の感受性

木下:少し話は外れてしまうのですが、『万葉集』の歌の中には、いわゆる「言霊思想」というものがあると思うんです。

 「ことだま」という表記は、万葉集の中で「言葉」の“言霊”と、「事象(物事)」の“事霊”のどちらもあって。それは “言”と“事”をイコールとして捉えていたとも考えられています。つまり、言葉に表す=事象が起こるということですよね。

 古来日本人は、森羅万象を神と信じていて、言葉そのものにも霊力が宿っていると、そう信じていたところがあって。

島谷:「正夢」といった感じのことですよね。

木下:だから、日本人は“想い”を「和歌」という形に託していたのではないかと思うんです。

 目に見えていないものを、“第六感”というか“直感”というもので、感受して信仰していたということはあったわけですよね。

島谷:和歌を言霊として表現していたということはあったと思います。反対のこととして、今でも、こういうことは言わないということがありますよね。それを言うと現実になるのが嫌だから言わない、忌み言葉みたいなものですけれど。

 それから自然の山とか川とか木などに神が宿っていると信じていたということもありますよね。何年か以上経ったものには神が宿るとも思っていて。奈良の三輪山にしても、そこに鳥居を建てて信仰するという。

木下:目には見えないもの、それこそ風の音などにも何かを感じて。

島谷:例えば女人禁制の結界があるところに、その近辺に住む人は絶対立入らないということもありますよね。入ったら何か悪いことがあると、はっきり思っていて。高野山は、現在は女人禁制ではないですけど、洞川(どろがわ)を登山口とする大峰山には、今なお「女人結界門」があって。相当のバリアーがあると思います。

言霊という音の響きに潜む霊力を信じ、和歌に込めて詠んだ

木下:このように“直感的”、“感覚的”であった⽇本⼈が、漢字を受容する中で、わりと物事を“論理的”に捉えるようになったり、物事を“分別”して考えるようになったりしたのではないかと思うんです。

 例えば、それまで“hi”と発音して、一括りだったであろう概念を、「日」、「火」、「一」と捉えるようになりましたよね。

 こうした大きな変化をもたらすような、新しいものを受け入れる際に、⽇本⼈のメンタリティはどうだったのでしょうか。

島谷:日本というのは、昔は木造建築の家屋で、中には百年、二百年残ることもありますけれど、普通はもう壊れてしまって建て直していく、“木”と“紙”の文化なんですよね。まずそのことに大きな意味があります。

 なので、何かが⼊ってくれば、何かを捨てていくようになるわけです。

木下:“引き算”ですよね。

 ただ、日本人の場合は、単に引くといっても、引いた後の“間”とか“余白”の存在を大切にするということがあると思うんです。

島谷:捨てるだけではなくて、入ってくるものと今持っているものとを“調和”させてもいくわけです。

 でも、入れるものが強すぎると他のものが全部消えてしまいますので、それこそ日本人のアイデンティティーの中の“良い加減”で、形を変えていくんです。

木下:確かに⽇本⼈はメリハリではなくて、頃合いとか、ニュアンスを好むというところもありますし、「倭」という文字も“人偏”に“委ねる”と書きますが、柔軟性があって。それで、“和する”という気質によって、⽇本⼈流に新しいものに変えていったということはあるんでしょうね。

島谷:「和様漢字」、「仮名」の発生がまさにそうだったわけです。