(前回から読む)

(公益財団法人 京都市埋蔵文化財研究所)
日本最古の歴史書『古事記』の原文が全て漢字で記されていたこと、また日本独自の文字である平仮名が漢字を崩して編み出されたものであることは、現代においては意外に知られていないことなのかもしれません。
もともと文字を持たなかった日本人は、中国文化を受容した際に日本語を捨て中国語にする、あるいは西洋文化を受容した際に仮名による表記を捨てアルファベット表記へ切り替えるという選択肢もあったのかもしれませんが、そうすることを選びませんでした。この取捨選択に、日本人らしさが見えてきます。
今回も九州国立博物館の島谷弘幸館長と、古代史を巡るお話をさせて頂きました。
書家 木下真理子
日本語を文字で表す創意工夫
木下:現代ではあまり知られていないと思うのですが、奈良時代に入り、日本最古の歴史書である『古事記』(712年)、日本最古の和歌集『万葉集』(759年)が編纂されて、それは全て漢字で表記されています。
ただ、『古事記』より数年経って編纂された『日本書紀』(720年)が基本的に“漢文”で書かれていることに対して、『古事記』は、漢文様式の“国語文”である「変体漢文(和化漢文とも言われる)」で、漢字を借字として使用していますよね。

島谷:漢字をそのまま使うのではなく、借字として使うことについてですが、日本語の“発音”と同じ漢字の発音、つまり中国語の“音(おん)”を借りて当てはめたものが「音仮名」。日本語の言葉の“意味”に見合った漢字を借りてきて、日本の“訓(くん)”読みとして当てはめたものが「訓仮名」です。
木下:借りてきた文字だから“かりな”、転じて“かな”、見た目は漢字であっても「仮名」と言うわけですね。
島谷:ただ、和歌などは韻を踏んで区切れるので大体分かりますが、“音”と“訓”が混ざって長くなると、漢字だらけで読みにくいですよね。
なので『古事記』は文法的には漢文様式を取り入れつつ、ここからここまでは“音読”だよ、とも補記したわけです。
木下:稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗唱していた古来の物語を、太安万侶(おおのやすまろ)が漢字を使って表記したとされていますが、おそらく漢文の素養があったであろう彼をしても、口伝えであったものを文字で表記することには苦労して。その難しさが『古事記』の序文で述べられています。

(photo by nanaco、以下 対談写真も同)
ところで漢字を借字したものを、本来の漢字とは区別して、先程の音仮名、訓仮名などもそうですが、まとめて「真仮名(まがな)」と言いますよね。
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