漢字を理解するのに二~三百年

島谷:古墳時代の前期(4世紀)に作られたとみられる古墳から、中国の鏡を模して日本で作られた「仿製鏡(ほうせいきょう)」が発掘されていますが、鏡の周りに記されている銘文の文字が誤って記されているんです。これはまだ漢字が“文字”として認識されていなくて、“装飾文様”と捉えられていたことがうかがえる史実です。

一貴山銚子塚古墳より出土した三角縁神獣鏡<br />“明”の文字の偏と旁が逆に記されている(京都大学総合博物館)
一貴山銚子塚古墳より出土した三角縁神獣鏡
“明”の文字の偏と旁が逆に記されている(京都大学総合博物館)

 一般レベルで、漢字を文字として理解するには、渡来人、中国語もしくは朝鮮語が分かり、漢字が分かる人がきちんとレクチャーしないといけないということがあります。

木下:学校の社会科の教科書には、古墳時代の5世紀ぐらいに渡来人が文化を伝えたと。そして括弧で括られて、漢字、儒教、須恵器と書いてあったと思います。

島谷:ざっくり5世紀、400年代というのは合っていると思うんですが。漢字が一気に広まったということではなくて、少しずつ理解されるようになっていったということです。

木下:日本人がそれを理解するまでには、かなりの時間を要したということですよね。

島谷:二百年、三百年単位だと思います。

 例えば、木下さんはよくお分かりのことだと思うんですけど、1899年に古代文字が記された「竜骨」が見つかったということがありましたよね。中国の河南省の殷墟(いんきょ:殷王朝時代の廃墟)のもので、一番古い象形である甲骨文字だったのですが、最初は何が記されているのかが分からなかったわけです。それを解明するのに何十年とかかって。中国でさえ自国の文物でありながら理解するのに多大な時間がかかったわけです。

木下:倭語(日本語)をしゃべっていた日本人が、渡来人から漢字を習うのに、実際はどんな感じだったのでしょうか。

島谷:例えばここに何か物が二つとか三つとかあったとしますよね。“1”は横一本で「一」、“2”は横二本で「二」、“3”は横三本、“4”は“二”と“二”でこの(下の画像・左)ように書くと。それで“5”はこの(下の画像・中央)ように書くと。中国で、象形文字が生まれて、それを知らない人に伝えなければならなかった時と同じようなことが行われていたはずです。

 ただ「一」、「二」、「三」というのは、その形から分かり易いものですが、 “9”はこの(下の画像・右)ようになってとか、言葉を交わし合いながら細かく教えられて、そういうことを繰り返していたと思います。

「古代中国の数字表記」渡来人に一つずつ文字を学ぶ(⽊下作成)
「古代中国の数字表記」渡来人に一つずつ文字を学ぶ(⽊下作成)

木下:“文字”を記すことで、そこに様々なメリットがあることも実感して、漢字が使われるようになっていったということはありますよね。

島谷:渡来人がきて、例えば陶工などの職人がきた時に、こうしてくれとか、依頼するにも意向が出てきますよね。それで文字が、意思を伝達するとか、色とかそういうものを表現するのに便利なんだということが分かってきて。

木下:品物を作ってもらおうと発注するにも、文字があれば便利ですものね。

島谷:日本人が普通に今と同じようにしゃべっていたとは思いませんけれど、近い言葉でしゃべっていたとすると、いろいろな“思想”とか“感情”などを文字に置き換えられるんだと、そう認識されるようになっていったわけです。

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