そもそも「美文字」とは何か

木下:いわゆる「美文字」という言葉が昨今流行していますが、それはいかに文字を揃えて、均一的に書くかといったことに主眼が置かれているように思います。

 でも、もともと日本人はアンバランスなものを好み、それを調和させるという感覚に秀でていたと思うんです。

島谷:そういうバランス感覚のことで言うと、子供がマス目に文字を書くことはしょうがないにしても、日本語の表記においては、それが縦書きであろうと横書きであろうと、文字の大きさに違いをつけていいと私は思っています。

 本来、文字には細長い字、三角の字、丸い字、ぺったんこな字と不揃いでいろいろあるわけです。なので、例えば「国」という字と「口」という字を、一行の中で同じ大きさで揃えて書くと、やっぱりおかしいんですよね。

木下:このようなマス目に合わせて書くという意識は、活版印刷による「活字」の影響もありますよね。活字は「級数」という文字の大きさが数値化されていて、縦書きでも横書きでも違和感がないように作られていますので。

 それから手書きによる横書きの場合、下に揃えて書くのが良いのか、中心線を意識して書くのが良いのか、いま一つ判然としないところがありますが、縦書きには文字を貫く中心線を意識すればいいということがありますよね。

島谷:縦書きの場合は、右に揃えて書くということはあり得ませんよね。揺らぐにしろ、真ん中を貫くということがあります。

 漢字、仮名もそうなのですけど、中心線を文字に当ててみると分かります。多くの文字の“書き始め”は、中心線より左側にあるんです。

「始・終筆確認図」始筆が中心線より左(木下作成)
「始・終筆確認図」始筆が中心線より左(木下作成)

木下:なるほど、確かにそうですね。

島谷:「あ」はここですよね、「い」はここですよね、「う」はここですよね、と。

木下:始筆の位置は、中心線よりみんな左側にあります。

島谷:それから、「あ」はここで終わって、「い」はここで終わって、「う」はここで終わって。その文字の終わりから次の文字の始めに移る時に、縦書きの方が書き易いですし、自然な流れが出来るわけです。

木下:もともと文字はそのように出来ているものということですね。

島谷:だから原理的に言って、縦書きの方が早く、美しくも書けるということがあるんです。

木下:それと、書の世界では、例えば文字を上から下へ記すことを、「天」から「地」へという言い方をすることもありますが、漢字由来の文字文化には、東洋思想を内包しているところがありますよね。

 それでは、今度は違う観点からお話をさせてください。

 江戸時代に寺子屋では実用として、漢字は「草書(草書体とも言われる)」による書き方を教えていたそうですが、明治以降、今の教育現場では「楷書」と「行書」で書くことを指導していますよね。

 これは、言い方が正確ではないのですが、草書を崩して編み出された本来不揃いな平仮名を、漢字の楷書と行書に合わせるように均一的なものにして、“楷書化”してしまっているという印象があって。活字にしても「教科書体」というものがありますけれど、“手書きに近い活字”という定義がされていて。これは逆転現象と言いますか…。

島谷:歴史を振り返れば、平安時代に、漢字が崩されて平仮名という日本独自の文字が出来て、それと違和感がないように、漢字自体も「和様」化と言いますが、柔和な書き方になっていったということがあったわけですよね。

木下:はい。こうしたこともありますので、今回は文字というものが、始めから今のような姿形をしていたわけではなくて、それは長い歳月をかけて、人の手によって、字形、書体、書流、用途などの様々な要素、要因をともないながら、少しずつ形作られていったということを知ってもらえたらと思っています。

「書体変遷図」文字は、長い歳月をかけて形作られた、文化遺産<br />(教育出版 平成二十年版『新編書道Ⅱ』を参考に木下が作成)
「書体変遷図」文字は、長い歳月をかけて形作られた、文化遺産
(教育出版 平成二十年版『新編書道Ⅱ』を参考に木下が作成)

 そうすれば文字に対する敬いの意識も生まれて、文字の形を我流で歪めたり、書にしても筆と墨を使って書けば何でもありということではないことが理解して頂けるのではないかと思うんです。

 そして、文字とは何か、書とは何か、それを見つめ直すことによって、古来の日本人の本質もそこに浮かび上がってくると思いますので、こうしたことにも迫っていければと考えています。

島谷:分かりました。

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