木下:あくまで和歌などで描かれている、その中の桜のイメージを香りに託したものということで、つまり見立てるということですね。

稲坂:そうです。日本の「見立ての文化」です。抽象である香りを、頭の中で吉野の山の山桜の柔らかな雰囲気と景色を描きながら、インプットするんです。それで今度は、別に白雲の香りを覚えて。自分の記憶の中から、覚えておいた香りを抽出するということです。とにかく普段使っていない神経をかなり働かせます。

木下:それにしても昔は、スローライフと言いますか、ゆるやかに時間が流れていて、遊び一つをとっても丹念で、洗練されたものですよね。それから香席という場も、まさに空気を共有して、「和む」、「和す」という日本人の特性をそこに見て取ることが出来ます。

明治維新から香道文化は表舞台から一歩下がる

稲坂:香道は江戸時代に、商人階級にも広まっていき、全盛期を迎えます。多くの庶民は「伽羅(きゃら)」という名前に、ステータスというか憧れを抱いていました。遊郭の中の伽羅話っていうものはかなりありますし、歌舞伎の『助六由縁江戸櫻(すけろくゆかりのえどざくら)』、通称「助六」という十八番演目にも伽羅が登場して、やんや喝采になるという。

木下:そのようにして培われてきた素晴らしい日本の香文化というものが、明治維新があって、変化していってしまうわけですよね。

稲坂:明治維新の折、産業革命や西欧近代に対して遅れてしまった国だというふうに、自分たちで思ってしまったのでしょう。

木下:ヨーロッパの文化や価値観が流入してきて。

稲坂:そうです。それで古きものとか、古き伝統というものはちょっと置いておけという風潮になって、近代化と富国強兵政策に突き進んでいくわけです。

 そうすると真っ先に男たちの手から、男の生き様から離れていったものが香道など芸道の世界でしょう。礼法は江戸時代まで武家を支えていた最も大事な、武家が最初に学ぶべきものであったんですが、婦女子の教育が大切だということで、婦女子の礼儀作法のようになったと言えます。

木下:男性から女性の嗜みに。

稲坂:男の生き様とか、文化の創造であったものが、明治、大正、昭和の戦前にかけて、精神の芸道を探求する求道者とか、創造者というより、作法や所作の段取りを教える町の手習いのお師匠さんのような形が増えたのではないでしょうか。