
木下:それでは政治の実権が貴族から武家に移って。武士というのは、本当に明日の我が身が分からない。生死というものに毎日向き合って生きていかなければならなかった人たちで。シリアスな精神状態で日々を過ごしていたと思うんです。
時代は違いますが、例えば特攻隊の人たちが、出陣前にちょっと気を紛らわす為にお酒を召し上がっていたという。それと同じように、出陣するぞという時に、香を焚いて、そのようなシリアスな感情を、麻痺させていたということはあったのでしょうか。
稲坂:木下さんが想像されたように、出陣する際には、兜に香を焚き染めていたんです。平安貴族の時代では着物にたき染めたのが、武家の場合は兜にです。兜を被って、緒を締める。兜の中には、鎮静効果を発揮する「伽羅(きゃら)」の香りが満ち満ちて。これが現実と思いますが、表向きには、万一、首を取られても名香焚き染め覚悟の美学とされました。
戦場での血しぶきにおじけづいたり、血迷ったりすることが無くなるわけです。絶えず冷静に、戦局を見極めながら戦う為に、兜の中で精神をコントロールし、安定させて。そうやって戦っていくわけです。
木下:武家の時代には、また香のスタイルも変わっていったんですね。平安時代のように熟成させて練香を作る、そんな気長なことをする余裕も無いような気もします。
稲坂:武家はそんな貴重な香木を刻んで練香を作る、薫物作りよりも、天の恵みの香りの最高のものは、香木そのものだと。これこそ人知を超えたものではないかと捉えたんです。だから最高の香木を手に入れて、それを刀ですっと削って、そのものを焚いたわけです。

例えば戦場で血しぶきを上げて戻ってくると、やっぱり血なま臭いですよね。どうするのかと言うと、今度は浄めとして香木を削って焚くことで、血の臭いを消していくんです。そしてさっきまで殺気立っていた自分の精神をぐーっと沈めて。それは仏教とともに入ってきた浄めの行為でもあるわけです。
木下:香を聞き取って、心静かに。武家は当時日本に入ってきた新種の仏教、「禅宗」にも傾倒していくわけですよね。
稲坂:そうです。鎌倉時代以降、特に武家が禅宗を広めていきましたので、座禅を組むのと同様に精神統一に、香木を自分で切って、一人静かに香を聞く。武家の家には必ず香木があって。香木一木を大変愛でて、香木のコレクターにもなっていくんです。
木下:ただ日本では採れないものなので、希少価値は高く。
稲坂:中国大陸は平安王朝の頃の唐から鎌倉以降、宋という国になっていまして。
木下:日宋貿易で入ってくるわけですね。
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