稲坂:それからもう一つ。香木の香りが、それまでの日本には無い香りだったということも大きいですね。それにしても心が落ち着くと。現代的に言えば、鎮静効果と覚醒作用。香りに包まれると、イライラがすっと治まる、気が沈んでいる時には、しゃきっとしてきたとか。心身がいい形で反応して、それを実感したんです。

木下:書道で使う墨にも「竜脳(りゅうのう)」という漢方の原料でもあるものが配合されていて、心を落ち着ける香りが漂ってきます。ただそれは木の樹脂由来のものですが、今でも墨は量産されていますので、香木という稀少価値の高いものとはちょっと違いますよね。それでは、そうした中国に端を発し伝来してきた香木とは、そもそもどういったものなのでしょうか。

香木は東南アジアだけで奇跡的に出来る

稲坂:はい。香木が発見されるのは東南アジアのある一定の地帯だけなんです。メソポタミアや古代エジプト、アフリカでは一切発見されません。中国の黄河文明にも無いんです。

木下:今で言うと、具体的にはどのあたりを指すのでしょうか。

稲坂:ベトナムを中心にして、タイからマレーシア、それからインドネシア。まあボルネオ島、スマトラ島からインドの大陸に少し掛かった範囲ですね。

木下:そこでしか産出されないというのは、やはり自然環境が影響していますよね。

稲坂:そうです。香木は、もとになる木と、香りの物質に変化する菌類、それから日照、気温、雨、土壌などの自然条件との結合によって、奇跡的に出来るんです。なので、その条件が揃わない他の土地では絶対に出来ないのが香木なんです。

木下:そのような条件下で、香木は具体的にはどのようにして生成されるのでしょうか。

稲坂:木に傷が出来、木は樹液を出します。その中に微生物が入り込んで繁殖するんです。「真菌類」という菌が繁殖して、木は異物を封じ込めようと、それを樹脂の塊にしていきます。外見では分からないんですけれど、木の中で戦いが続いて、数十年とか、100年、200年経つと、繁殖した菌が封じ込められたまま固まってしまうんです。それは人間が人工的に造ることの出来ない香りの物質なんです。

木下:それがどのようにして発見されるのでしょうか。

稲坂:木の寿命が尽きて倒れますよね。それで地中に埋もれるとします。そうすると木の部分というのは、普通は分解していくのですが、凝固物として、一種の化石のような状態のものが残ります。

木下:それが「香木」と呼ばれる部分なのですね。

稲坂:そうです。だからあの香木の一木ずつというのは、人間が削ってあのような造形物になったものではなくて、根っこの部分や幹の部分だったのかもしれないと。つまり「香木」という物質と化しているわけです。

木下:なるほど。それはどんなに科学文明が発達した現代においても、人間の手によって造ることは困難でしょうね。そうした限りある貴重な資源を、今日も大事に、大事に使っているということですね。

(次回に続く)