「香木(沈香)」は天然の化学変化により、長い歳月をかけて出来上がった“芳香物質”
(日本香堂所蔵香木/photo by nanaco)

 明治17年、時は文明開化。三島由紀夫の作品でも知られる「鹿鳴館」で、外国使節や政府高官、華族らが集い、華やかな舞踏会が催されました。それはドレス姿の西洋の貴婦人たちが身に付けた香水と、日本の絹のきものを夜会服に仕立てた日本の伯爵夫人たちが纏った「伽羅(きゃら)」という香木の香りとが、劇的に出会う場となりました。4000年の歴史を経て、東西の香文化がまさに重なり合ったのです。「香」は、インドから西方では“液体状”の香油という形で発達し、東では“固形状”の香が普及しました。そしてシルクロードの東の果て、この日本に伝来すると、日本の美意識が集積された独自の香文化が発展しました。

 現代では、香水やルームフレグランス、アロマやハーブ、さらには森林浴など、香りの様々な機能や効能が科学によって解明されて、一般にも認識されています。ただ、香の文化的背景や歴史についてはあまりよく知られていません。

 今回は香文化の第一人者である稲坂良弘さんと「日本の香」についてお話しさせて頂きました。香にまつわる興味深いエピソードを伺いながら、香の歴史を辿る中で、日本文化の本質を垣間見た気がします。

木下真理子(書家)

木下:稲坂さんが特別顧問を務められている「香十(こうじゅう)」は、天正3年(1573年)から続く由緒あるお店ですが、日本伝統の香はもちろんのこと、西洋的な商品も取り扱われていますよね。私たち現代人はわりと日常的に、西洋と東洋の香りを分け隔てなく使っていると思うのですが、まずこの東西2つの香りの根本的な違いについて伺えますでしょうか。

稲坂:分かり易い例えとしては、古代の西と東の美女、エジプトの女王クレオパトラと中国の楊貴妃ですね。クレオパトラはシーザーに会う時には、真っ白な山羊の乳で満たしたバスタブに薔薇の花を浮かべ、そこに身を沈めました。そしてその湯上がりの肌に塗っていたのが“香油”です。

 一方の楊貴妃は、「沈香(じんこう)」という“香木”の香りが大好きで、玄宗皇帝は楊貴妃の為に「沈香亭」という部屋を、その香木で造ったという伝説があります。同じ原材料でも、例えばインド北部のヒマラヤ山地に生息する「ナラダ」という薬草があるのですが、西方では香油として液体化し、『新約聖書』の中でキリストの足を拭ったとされるあの「ナルドの香油」になります。一方、東では「那羅駄」という乾燥させた固形物を細かく刻み、火で焚いて香気を出していました。これが「甘松香(かんしょうこう)」として日本へ伝わりました。

木下:この日本では、聖徳太子が活躍した飛鳥時代に、淡路島に流木と思えるものが漂着して、それを島の人が薪として使ったところ、煙炎が上って、えも言われぬ神秘的な香りがしたことに驚き、朝廷に献上したとされています。それが日本における香木の始まりという、ドラマチックなエピソードがありますよね。