中国のIT業界、ひいては民間企業全体を牽引しているのがアリババ集団と騰訊控股(テンセント)の2社だ。多くのスタートアップ企業が目指すのはもちろん米国や中国での株式上場だが、アリババやテンセントからの出資や両社による買収が一種の出口(エグジット)もしくは上場への経路になっているようにも見える。ある程度、名が知れたスマートフォンアプリの多くは2社のいずれかが出資している。
中国で、昨年の世界インターネット大会期間に撮影されたらしい1枚の写真が話題になった。その写真は、テンセントの馬化騰(ポニー・マー)会長兼最高経営責任者(CEO)を中心に、ネット通販の京東集団(JD.com)や配車サービスの滴滴出行といったテンセント出資企業のCEOたちが円卓を囲んだもの。集まったのは中国で有名な経営者ばかりで、彼らを「テンセントマフィア」と呼ぶ人もいる。
最近ではアリババが4月2日、出前サービス大手「餓了麼(ウーラマ)」の運営企業を完全子会社にすると発表。一方、ウーラマのライバル「美団外売」は4月5日、シェア自転車大手の摩拝単車(モバイク)を買収すると発表した。美団外売も摩拝単車もテンセントが出資する企業だ。アリババとテンセントはもともと中核となるサービスが異なるが、今やオンラインだけでなくオフラインの世界でも激しく競い合っており、スタートアップ企業は両社の草刈り場のようになっている。
裏を返すと、この中国ネット巨人2社の輪の中に入れないスタートアップ企業は自らの力で成長を目指すしかない。だが、今や10億人のユーザーを持つテンセントのチャットサービス「微信(ウィーチャット)」やアリババの通販サイト「(淘宝)タオバオ」や決済アプリ「支付宝(アリペイ)」などの力を借りずに、スタートアップ企業が消費者を自らのアプリに呼び込むのは難しい。
ブロックチェーン技術を使ったスタートアップ支援を模索するイヴァン・ジャン氏
しかし、アリババとテンセントの2強が支配する構造を変えようという起業家もいる。姜孟君(イヴァン・ジャン)氏もその1人だ。ジャン氏は大学卒業後2年間、米国のシリコンバレーで暮らした。米ヒューレット・パッカードなどでITシステムの設計に携わった後、起業の道を選んだ。
中小のIT企業を支援する会社を軌道に乗せ、昨年、ブロックチェーン技術を用いた新サービスの会社、MERCULETを立ち上げた。ジャン氏は「ブロックチェーンはネット上の人の流れを大きく変える可能性を秘めており、顧客に新しいソリューションを提案できる」と話す。
ジャン氏のあだ名は「ベンベン」。竹かんむりに「本」と書く漢字「ベン」は「愚かな」という意味だ。大学時代、勉強をほとんどしていないのに奨学金を得たジャン氏に対し、友人たちはあえて「おバカさん」というあだ名をつけたのだという。ジャン氏の名刺には今も「ベン総」(「総」は企業の会長や社長など地位の高い人に使う敬称)という文字が印刷されている。
ジャン氏が考えているのは、トークン(ブロックチェーン技術を使って発行する独自のコイン)によって消費者と企業をつなげる新たな生態系の構築だという。どういうことか。ジャン氏は次のように説明する。
「現在、多くのネット利用者は大企業が提供するアプリの利用に多くの時間を割いている。中小のスタートアップ企業が作ったアプリがここに割って入り、使ってもらうのは簡単ではない。そこでアプリを使ったり、改善点を指摘したりする利用者にトークンを発行して、ユーザーにもっとアプリを使ってもらう仕組みを作り上げる」
監視強化でも日本を目指す中国のブロックチェーン企業
中小のスタートアップ企業はウィーチャットなど多くの人が集まるサービスを利用して、利用者を呼び込むしかなかった。しかし、トークンの発行によって新たな固定ファンを作ることが可能になる。さらに利用者がより自分の嗜好に合わせて細分化されたアプリを利用してくれるだけでなく、アプリをより良いものにしてくれる可能性や大手のアプリから利用時間を奪う効果も期待できるという。
MERCULETはスタートアップ企業による独自トークンの発行を支援する。また、MERCULET自身もトークンを発行、これを顧客のスタートアップ企業が利用することもできる。既にMERCULET自身はトークンの発行を開始した。「巨大なプラットフォーム企業に集中しているネットのアクセスを分散させ、スタートアップ企業の成長に貢献したい」とジャン氏は言う。
中国当局は昨年秋、仮想通貨を使った資金調達であるICO(イニシャル・コイン・オファリング)を禁止。仮想通貨の取引所も強制的に閉鎖した。MERCULETは中国を本拠としているが、ジャン氏は「シンガポールや米シリコンバレーにも拠点を置いた。東南アジアや中東、欧州の企業とも連携して、世界で業務を手がけたい」と話す。世界拠点には日本も含まれる。日本で既に法人を立ち上げており、仮想通貨取引所の開設などを目指すという。
中国当局が規制を導入して以来、中国のブロックチェーン関連企業や仮想通貨関連企業が日本に注目している。仮想通貨をいち早く合法化したからだ。その後、コインチェックで仮想通貨「NEM」の巨額流出が起き、日本の金融当局も監視強化に動いている。新たな仮想通貨取引所の開設は容易ではないと見られる。だが、それでもジャン氏は「日本は仮想通貨取引の中心国になる」と意に介さない。
高まる巨大プラットフォーム企業への不信感
「今後、アプリを使う人のニーズは一層、細分化されていく。そうなると巨大な1つのアプリ、サービスではニーズに応えきれず、様々な中小のサービスが登場するはずだ。これら中小のサービスとユーザーをつなぐのが我々の狙い。アリババやテンセントのようなネットの巨人が独占する時代は終わると考えている」。ジャン氏はこう語る。
ジャン氏が構想するトークンによるエコシステムが成立するのかどうかは分からない。ユーザー側にトークンを得るメリットがなければアプリの利用につながらない。一方でフェイスブックの個人データ流出問題のように、巨大なIT企業が利用者のデータを収集・管理し、利用する仕組みに疑問符が付き出しているのも確かだ。
個人情報が利用されることに鷹揚とされる中国でも、今年に入りプライバシーに関する炎上事案がいくつか起きている。3月には百度(バイドゥ)の李彦宏CEOがシンポジウムで「中国人は生活の便利さや効率性のために、進んでプライバシーを提供する」と発言し、中国国営メディアまでが取り上げる騒ぎになった。ジャン氏の取り組みは、巨大プラットフォーム企業の支配を崩す一石となるのだろうか。
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