継承される「江副DNA」
全社員に「圧倒的な当事者意識」を求め、課題解決への道を突き詰めて実現させる。成長の芽を育む仕掛けや、それを支える文化は、創業者の江副浩正氏から脈々と受け継がれてきた。「リクルート事件」やその後の財務危機を乗り越えた原動力は、世界の舞台でも通用するのか。
リクルートホールディングスには連綿と続いてきた「合言葉」がある。
「相談に来た部下に、上司が問いかける言葉は『おまえはどうしたいの?』。逆に部下が上司や役員に話しかける時は『ちょっといいですか?』。このやり取りが社内にはあふれている」。リクルート経営コンピタンス研究所の巻口隆憲室長はこう語る。これらの言葉が象徴するのは、リクルートで社員に求められる仕事に対する意識や課題解決への姿勢であり、社員を育てる組織風土だ。
社員は上司から常に「おまえはどうしたいの?」と問われることで、自身が抱えるアイデアや問題意識について、突き詰めて考えることを要求される。その際、持つべき姿勢について、社内では「圧倒的な当事者意識」という言葉が頻繁に使われる。一方、「ちょっといいですか?」と相談された同僚や上司、役員は、その問題意識に対し、自分が持つ知識や経験を全面的に提供しサポートする。
3400人が参加する表彰式
こうした組織の文化は、創業者の故・江副浩正氏が起業した当初から醸成してきたものだと、リクルート関係者は口をそろえる。上下の隔てなく社員が自由に議論し合い、オーナーシップを持って仕事に取り組む。その哲学は、今も脈々と受け継がれている。それを象徴的に示すのが、数多くの表彰制度と新規事業開発の仕組みだ。
表彰制度で特に大規模なのが、事業開発やテクノロジーなど4部門で、国内外を問わず、その年を代表する成果を上げた担当者を表彰するイベントの「FORUM」。4部門で計約3400人の社員が出席するイベントでは、表彰される社員が大々的に称賛される。
受賞内容のプレゼンテーションもあるが、通り一遍のものではない。具体的な中身はもちろん、成果を上げた経緯に至るまで細かくプレゼンする。事務局や上司と事前に内容を打ち合わせ、何度も書き直すほどの徹底ぶりだ。
FORUMの狙いは、顕著な成果を上げた社員の創意工夫を他の社員が「まね」できるよう共有すること。そのため、新規性に加え、他事業でも活用できる汎用性の高さが大きな評価基準となる。
一方、ビジネスの芽を生み出す上では、新規事業開発室が「リクルートベンチャーズ」と呼ぶコンテストを毎月開催。国内外の全社員を対象にアイデアを募り、選考する。最終合格した企画はすべて、必ず予算を組み事業化。リーダーには発案者が就き、所属部署を離れて専任になる。単なるビジネスコンテストには決して終わらせない。 昨年度の企画提案が約700件に上るリクルートベンチャーズは、1982年に始めた新規事業提案制度に源流を持つ。「ホットペッパー」「スタディサプリ」などはここから生まれた。このほか、各事業会社単位でも独自に新規事業開発のコンテストを運用、新たな成長の芽を探している。
ここまで紹介してきたカルチャーは、江副氏らが原型を生み出し、歴代の経営層や現場社員が発展させてきたものだ。麻生要一・新規事業開発室長(取材時点、現在は戦略企画室)は、「創業時代から培ってきた強力な企業カルチャーや運営手法は、その言葉や姿形を変えながら息づいてきた」と説明する。
常に存在してきた危機感

だが、その「江副DNA」とでも呼ぶべきものの継承は、単調な一本道ではなかった。1988年に発覚し、「戦後最大の企業犯罪」と呼ばれる「リクルート事件」。政財官を巻き込んで12人が起訴(全員の有罪が確定)され、リクルートは大きな転換を迫られた。
事件によって、江副氏は会社を去り、残された社員は世間の強い批判にさらされた。事件の舞台となった不動産子会社の不振も経営を圧迫、最大約1兆4000億円もの有利子負債を抱える事態に陥った。92年からはダイエー傘下で、再建への道を歩むことになる。
当時のリクルートは2代目社長の位田尚隆氏を中心に事業や組織を徹底して見直し、その中から「ゼクシィ」「リクナビ」といったサービスが次々に誕生した。そうした歴史から、「変わり続け、革新を起こし続けねばならないという危機感は常に社内に存在してきた」。前出の巻口氏はそう分析する。
波乱の歴史をたどってきたリクルートの主戦場はネットに移り、数々の世界企業としのぎを削る段階に入った。変化対応だけでなく、自ら変化を生み出すことがこれまで以上に重要だ。世界を舞台にその真価が問われている。
フューチャー・デザイン・ラボ会長
社会に生かされた 事件の反省が今に

リクルート事件が発覚した当時、私は総務部長という立場にありました。あの事件からリクルートは多くを学びました。私自身が特に強く感じているのは、「結果的に社会から生かしてもらった」ということです。
急成長を続け、自分たちで何でもできる、自社が素晴らしい会社になりさえすればいい。そんな幼稚な思い上がりがあった。社会とどう関わるべきか、リクルートがどのような会社であるべきか。江副浩正さんが退任し、残された経営陣が反省に立って突き詰めて考え抜いたことが、その後につながっていったと思います。
リクルートのユニークさは大きく3つ。1つ目は広告を情報に置き換えて、新しい価値にしたこと。2つ目は社員同士の激しい競争風土と信頼関係を併存させる企業文化。3つ目は次の事業を生み出す仲間をエネルギーをかけて探すマネジメントでしょう。
足元では海外展開も加速していますが、グローバルなビジネスはこれから。10年、20年先を見据えて、乗り越えてほしい。(談)
評論家、千葉商科大学専任講師
なおも存在する江副モデルの呪縛

あえて厳しいことを言えば、リクルートはどんどん「分かりにくい」会社になっていると感じます。買収を推進、事業を合理化して規模を拡大。グループの社員数も増えた。ただ、成長はしたが、外からはリクルートがどこを目指しているのか見えにくくなっていないでしょうか。
例えば、海外での派遣事業の加速。リクルートが世界の派遣ビジネスを制したら、産業や社会がどう変わり、誰がどう幸せになるのか。リクルートの経営陣には、そうした青写真をもっと明確に示してほしい。リクルートという会社がどのような会社であるのか、社会や消費者に理解してもらう努力をもっとすべきだと思います。
新規事業開発についても同様です。創業者が生み出したビジネスモデルは確かに偉大ですが、ある意味でその「呪縛」は今も存在している。既存の事業は伸びているけれども、フェイスブックやツイッターを超えるような新サービスを今のリクルートが生み出せるのか。そうした疑問を持つことは必要だと考えています。(談)
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