2020年の“還暦”を控え、売上高2兆円を突破する勢いのリクルートホールディングス。求人広告から始まった事業領域は広がり、積極的なM&Aでグローバル企業への脱皮を狙う。既存事業のモデルを破壊し、新事業を生み出す、創業からのDNAを磨き続ける。
(日経ビジネス2017年10月16日号より転載)

かつてベンチャーの旗手とされ、1988年に発覚した戦後最大級の贈収賄事件の主役としても世間をにぎわせた企業が、節目を迎えている。「リクナビ」「じゃらん」「ゼクシィ」といった、生活に密着した数々のサービスを生んだリクルートホールディングスだ。
1960年創業の同社も2020年には“還暦”。足元では業容を急拡大し、17年3月期の売上高は1兆8399億円と前の期から16%増えた。海外比率は4割まで高まった。18年3月期の売上高は初の2兆円突破を見込む。
峰岸真澄社長は、20年に「人材領域(人材メディア・人材派遣など)」、30年に「販促領域」で世界トップの座を目指すと明言する。背中を押すのは、グローバルでの勝ち残りに向けた強烈な成長意欲だ。日本が生んだベンチャーは「世界のリクルート」になれるのか。その原動力である「破壊と創造」を追い求める精神は健在だ。
「1分で転職を可能にする」
「僕らのサービスは世界を変える可能性がある。うまくいけば、リクルートなんて圧倒的に超えていける」
常務執行役員兼 インディードCEO
出木場 久征氏 ![]() [Idekoba Hisayuki]
1975年生まれ。99年リクルート入社。全社WEB戦略室室長などを経て2012年にインディード買収を主導。16年から現職(写真=竹井 俊晴) |
こう断言するのは出木場久征氏。12年にリクルートが約965億円で買収した求人検索エンジン大手、米Indeed(インディード)でCEO(最高経営責任者)を務める。技術に磨きをかけて顧客を増やし、買収後5年間で売上高を12倍(16年12月期は11億700万ドル=約1250億円)に引き上げた。
「求人検索のグーグル」とも呼ばれるインディードは、世界60カ国以上で月間約2億人が利用。米国や英国で利用者数トップを獲得している。
リクルートがグローバル展開の中核に据えるのが、このインディード。IT(情報技術)を駆使したビジネスモデルが、人材サービスの領域を一変させると期待しているためだ。
求職者が例えばキーワードに「ITエンジニア」、勤務地に「東京都港区」と入力して検索すると、瞬時にネット上の各種求人サイトや企業のサイトにある情報を収集・分析し、港区で働ける求人情報を画面上に一覧表示する。利用者は無料で申し込みや資料請求ができる。採用する企業側は有料サービスを利用し、自社の検索結果を上位に表示できる。インディードはこうした顧客企業からクリック数に応じた広告料を受け取る。
従来の求人情報サービスは、自社サイトに登録する利用者を囲い込み、企業からの求人広告料や転職時の成果報酬が収益源。ものをいうのは、サイトの独自性や広告を出してくれる企業への営業力だった。それがITに取って代わられる。
インディードは04年の設立以来、ネット上の膨大なデータを収集し、機械学習で検索の精度を向上。数千の企業サイトや求人サイトにある数百万件の求人情報と、求職者とを最短距離で結びつける技術を進化させ続けてきた。
リクナビとの「共食い」いとわず
「1クリック、1分で転職が可能になる世界を作る」。それが出木場氏の描く未来だ。野村証券の長尾佳尚アナリストは、「売上高が100億円程度のインディードに1000億円近くを投じた当時の買収は、他の会社では考えられない。しかし、今から振り返れば正しい経営判断だった」と評価する。
しかし、インディードがもたらす業界への「破壊力」は、リクルート自身にも跳ね返ってくる。
知名度の高いリクナビをはじめ、リクルートの国内の人材募集事業は売上高が2666億円(17年3月期)と決して小さくない。そんなリクナビも、インディードの存在感が増せば、利用者を囲い込み続けられるとは限らない。さらに、求人・採用にあたってインディードをメーンに据える企業が増え続ければ、将来的に収益源を奪われ、のみ込まれる可能性すらある。
実際、業界では「カニバリゼーション(共食い)」を指摘する声も多い。それでもITの進展という変化に適応して生き残るには、自社内での共食いも恐れず突き進むしかない。リクルートホールディングスの峰岸社長も「人材領域で世界ナンバーワンを目指す上で、中心はインディード」と断言する。
新規事業が既存事業の領域を侵食するとして迷ってしまえば、ライバルに先を越されるリスクは高まる。目標のためには社内競合すら辞さない。インディードは成長に向けたリクルートのあくなき「貪欲さ」も映し出す。
出木場氏はかつて、宿泊予約サイト「じゃらんnet」や美容室予約サイト「ホットペッパービューティー」を新規開発した。紙媒体を出版し、そこを起点に事業を展開するリクルートのビジネスモデルを大きく転換し、ネット化にシフトする流れを作ったキーマンの一人だ。紙媒体での成功体験を壊し、ネットへの移行に結びつけた。
そんな出木場氏だからこそ、業界の変革に先行して対応すべきとの思いは強い。「採用や転職など、世の中の人材領域の仕組みは30年前から何も変わっていない。リクルートだって、もっと色々なことができたはず」。破壊的なイノベーションを起こし得る存在を、さらに大きくすることが重要だと説く。
リクルートは長年、社内で「不の解消」と呼ぶ使命を掲げてきた。「不」とは個々の消費者や取引先の企業など、社会に存在する様々なステークホルダー(利害関係者)が抱える不安や不満のことだ。インディードのサービスによって「不」をなくすことがリクルートの成長につながると確信している。

同じように「不」の解消を世に問うたのが、11年から展開するオンライン学習サービス「スタディサプリ」である。生徒がスマートフォンなどを使って有名進学塾や予備校の講師の授業を動画で視聴し、学習できるサービスだ。動画は見放題で、自分の学力に沿って苦手な科目を重点的に学んだり、進路選択に関する情報を探したりもできる。
「なくてはならない」存在を目指す
通塾すれば数万円かかるところを、毎月980円(税抜き)の定額で好きなだけ授業を視聴できるという価格破壊で事業を急成長させた。高校3年生以上を主なターゲットに「受験サプリ」としてスタートしたが、その後小・中学生向けにもサービスを拡大。現在、動画の本数は1万本を超える。有料の累計年間会員数は40万人を突破した。全国で1000校以上の高校でも学習指導などの補助ツールとして導入されている。
山口 文洋氏

1978年生まれ。ITベンチャーなどを経て、2006年リクルート入社。「スタディサプリ」などの企画開発を担当。15年から現職(写真=竹井 俊晴)
「世の中を変えて、海外にも出ていける。とんでもない事業に育てられるという『妄想』が突っ走った結果」。こう語るのはスタディサプリの生みの親である山口文洋氏だ。現在はゼクシィなどを手掛けるリクルートマーケティングパートナーズ社長を務める。スタディサプリを軌道に乗せた後、15年に37歳という最年少で主要事業会社のトップと本体の執行役員に就任した。
山口氏は、ITベンチャーなどを経て06年にリクルートに入社した。配属された進学・教育事業は当時苦戦が続き、部署内には閉塞感が漂っていた。
転機となったのが、峰岸社長の「リクルートの事業はロマンと算盤を兼ね備えているべきだ」という言葉だ。「単なる事業の再生ではなく、子供たちに新しい学びの場を提供したい」。山口氏は、他の社員らを巻き込み、教育現場や子供たちの学習の実態を調査。サービス開発のスピードを加速させた。
山口氏は当初、ビジネスモデルとしてリクルートの常道である、「無料サービス+企業からの広告」での収益化を想定していた。だが、開発を進めるうち、「必要最低限の料金をもらう方が、より良いコンテンツを提供できる」と考えを転換。低価格とサービスの質を両立させ、ビジネスとしての成長性を高めた。そして、スタディサプリは教育業界の「台風の目」へと育った。
業界の仕組みを壊して新市場を作ろうとしているのは、主に中小企業や個人事業主を対象にした業務支援ビジネス「Air(エア)シリーズ」でも同じだ。
例えば小売店や飲食店を対象にしたPOS(販売時点情報管理)レジサービスの「エアレジ」。スマートフォンやタブレットにアプリをダウンロードし、専用のPOSレジがなくとも、店舗の担当者が注文の入力や会計、売り上げ分析、顧客管理もできる。13年秋のサービス開始から、導入数は30万件に迫る。
課題解決に向け事業を深掘り
目指すのは、サービスから得られる膨大なデータを活用、顧客の業務改善や売り上げ増の課題を解決することだ。
エアレジを導入している栃木県の居酒屋チェーンでは、リクルートの営業担当者とエンジニアが組み、メニューの注文率や売上構成比率など各種データを分析。メニューの組み合わせや接客による、客単価や再来店率への影響を導き出した。分析結果を生かしてマニュアルを作成した結果、チェーン全体の客単価は10%以上アップした。
単発のサービスに終わらせず、連鎖的に別のサービスを結びつけて新たな価値を生む。それにより顧客に「なくてはならない」と思わせ、事業の幅と深みを増す。それがリクルートの強みだ。
大学受験生向けにスタートしたスタディサプリは次々と対象を拡大し、個々の生徒だけでなく多くの学校にも浸透。エアレジも手軽に使えるPOSレジにとどまらず、顧客の課題解決につなげるところまで事業を深掘りした。その「しつこさ」が成功につながっている。
創業者の故・江副浩正氏らが、前身となる「大学新聞広告社」を創業したのが1960年。今や2兆円企業になろうとするリクルートは、起業家精神をどう保とうとしているのか。次ページではその企業文化や組織の今に目を向ける。
求人広告を祖業に成長を続けてきたリクルートホールディングスは近年、事業のポートフォリオを大きく変えている。現在、売り上げ規模が最も大きいのは、国内外での人材派遣事業だ。2017年3月期の全社売上高のうち、約6割が同事業による。
●人材派遣の主な海外M&A(写真は本原常務)

もともと人材派遣では後発組だったが、2007年に旧スタッフサービス・ホールディングスを買収、国内首位となった。その後、16年にオランダの人材派遣大手、USGピープルを買収するなど、海外でのM&A(合併・買収)にアクセルを踏み込む。事業エリアは国内のほか、北米、欧州、オーストラリアにまたがり、20年には海外の人材派遣だけで1兆円の売上高を目指す。
人材派遣の拡大を指揮してきたのが、社内で同事業のエキスパートとして知られる本原仁志・常務執行役員だ。主導した海外案件は10年以降に8件。長年業界に携わり、「派遣社員の人たちが働く現場を、日本で一番見てきた」と自負する一方、元来M&Aや海外事業の経験はなかった。実務や現場を知る人材が自ら試行錯誤しながら経営するのもリクルート流といえる。
本原氏がマネジメントの肝としているのが「ユニット経営」だ。職種やエリアに基づいて10~100人規模の組織を「ユニット」として権限を委譲。事業運営や業績管理を任せる一方、情報を共有して透明性を高め、目標達成に向けて自立させる経営手法である。買収先の企業ブランドを残し、CEOらには経営の自由度を与える代わりに、取締役会は本原氏が掌握。現場のモチベーションを高めつつ、利益率の改善を中心に数値目標を厳しく管理する。
こうした組織運営により、海外派遣事業の主要3社のEBITDA(利払い・税引き・償却前利益)率は5%以上と、1桁台前半が大半の業界では高い。ここまでは順調に事業を拡大してきたが、「社員一人ひとりがオーナーシップを持つ。個々の経営感覚こそリクルートの特徴だ」と語る本原氏の考えを、海外でも浸透させられるかが今後の成長を左右する。
継承される「江副DNA」
全社員に「圧倒的な当事者意識」を求め、課題解決への道を突き詰めて実現させる。成長の芽を育む仕掛けや、それを支える文化は、創業者の江副浩正氏から脈々と受け継がれてきた。「リクルート事件」やその後の財務危機を乗り越えた原動力は、世界の舞台でも通用するのか。
リクルートホールディングスには連綿と続いてきた「合言葉」がある。
「相談に来た部下に、上司が問いかける言葉は『おまえはどうしたいの?』。逆に部下が上司や役員に話しかける時は『ちょっといいですか?』。このやり取りが社内にはあふれている」。リクルート経営コンピタンス研究所の巻口隆憲室長はこう語る。これらの言葉が象徴するのは、リクルートで社員に求められる仕事に対する意識や課題解決への姿勢であり、社員を育てる組織風土だ。
社員は上司から常に「おまえはどうしたいの?」と問われることで、自身が抱えるアイデアや問題意識について、突き詰めて考えることを要求される。その際、持つべき姿勢について、社内では「圧倒的な当事者意識」という言葉が頻繁に使われる。一方、「ちょっといいですか?」と相談された同僚や上司、役員は、その問題意識に対し、自分が持つ知識や経験を全面的に提供しサポートする。
3400人が参加する表彰式
こうした組織の文化は、創業者の故・江副浩正氏が起業した当初から醸成してきたものだと、リクルート関係者は口をそろえる。上下の隔てなく社員が自由に議論し合い、オーナーシップを持って仕事に取り組む。その哲学は、今も脈々と受け継がれている。それを象徴的に示すのが、数多くの表彰制度と新規事業開発の仕組みだ。
表彰制度で特に大規模なのが、事業開発やテクノロジーなど4部門で、国内外を問わず、その年を代表する成果を上げた担当者を表彰するイベントの「FORUM」。4部門で計約3400人の社員が出席するイベントでは、表彰される社員が大々的に称賛される。
受賞内容のプレゼンテーションもあるが、通り一遍のものではない。具体的な中身はもちろん、成果を上げた経緯に至るまで細かくプレゼンする。事務局や上司と事前に内容を打ち合わせ、何度も書き直すほどの徹底ぶりだ。
FORUMの狙いは、顕著な成果を上げた社員の創意工夫を他の社員が「まね」できるよう共有すること。そのため、新規性に加え、他事業でも活用できる汎用性の高さが大きな評価基準となる。
一方、ビジネスの芽を生み出す上では、新規事業開発室が「リクルートベンチャーズ」と呼ぶコンテストを毎月開催。国内外の全社員を対象にアイデアを募り、選考する。最終合格した企画はすべて、必ず予算を組み事業化。リーダーには発案者が就き、所属部署を離れて専任になる。単なるビジネスコンテストには決して終わらせない。 昨年度の企画提案が約700件に上るリクルートベンチャーズは、1982年に始めた新規事業提案制度に源流を持つ。「ホットペッパー」「スタディサプリ」などはここから生まれた。このほか、各事業会社単位でも独自に新規事業開発のコンテストを運用、新たな成長の芽を探している。
ここまで紹介してきたカルチャーは、江副氏らが原型を生み出し、歴代の経営層や現場社員が発展させてきたものだ。麻生要一・新規事業開発室長(取材時点、現在は戦略企画室)は、「創業時代から培ってきた強力な企業カルチャーや運営手法は、その言葉や姿形を変えながら息づいてきた」と説明する。
常に存在してきた危機感

だが、その「江副DNA」とでも呼ぶべきものの継承は、単調な一本道ではなかった。1988年に発覚し、「戦後最大の企業犯罪」と呼ばれる「リクルート事件」。政財官を巻き込んで12人が起訴(全員の有罪が確定)され、リクルートは大きな転換を迫られた。
事件によって、江副氏は会社を去り、残された社員は世間の強い批判にさらされた。事件の舞台となった不動産子会社の不振も経営を圧迫、最大約1兆4000億円もの有利子負債を抱える事態に陥った。92年からはダイエー傘下で、再建への道を歩むことになる。
当時のリクルートは2代目社長の位田尚隆氏を中心に事業や組織を徹底して見直し、その中から「ゼクシィ」「リクナビ」といったサービスが次々に誕生した。そうした歴史から、「変わり続け、革新を起こし続けねばならないという危機感は常に社内に存在してきた」。前出の巻口氏はそう分析する。
波乱の歴史をたどってきたリクルートの主戦場はネットに移り、数々の世界企業としのぎを削る段階に入った。変化対応だけでなく、自ら変化を生み出すことがこれまで以上に重要だ。世界を舞台にその真価が問われている。
フューチャー・デザイン・ラボ会長
社会に生かされた 事件の反省が今に

リクルート事件が発覚した当時、私は総務部長という立場にありました。あの事件からリクルートは多くを学びました。私自身が特に強く感じているのは、「結果的に社会から生かしてもらった」ということです。
急成長を続け、自分たちで何でもできる、自社が素晴らしい会社になりさえすればいい。そんな幼稚な思い上がりがあった。社会とどう関わるべきか、リクルートがどのような会社であるべきか。江副浩正さんが退任し、残された経営陣が反省に立って突き詰めて考え抜いたことが、その後につながっていったと思います。
リクルートのユニークさは大きく3つ。1つ目は広告を情報に置き換えて、新しい価値にしたこと。2つ目は社員同士の激しい競争風土と信頼関係を併存させる企業文化。3つ目は次の事業を生み出す仲間をエネルギーをかけて探すマネジメントでしょう。
足元では海外展開も加速していますが、グローバルなビジネスはこれから。10年、20年先を見据えて、乗り越えてほしい。(談)
評論家、千葉商科大学専任講師
なおも存在する江副モデルの呪縛

あえて厳しいことを言えば、リクルートはどんどん「分かりにくい」会社になっていると感じます。買収を推進、事業を合理化して規模を拡大。グループの社員数も増えた。ただ、成長はしたが、外からはリクルートがどこを目指しているのか見えにくくなっていないでしょうか。
例えば、海外での派遣事業の加速。リクルートが世界の派遣ビジネスを制したら、産業や社会がどう変わり、誰がどう幸せになるのか。リクルートの経営陣には、そうした青写真をもっと明確に示してほしい。リクルートという会社がどのような会社であるのか、社会や消費者に理解してもらう努力をもっとすべきだと思います。
新規事業開発についても同様です。創業者が生み出したビジネスモデルは確かに偉大ですが、ある意味でその「呪縛」は今も存在している。既存の事業は伸びているけれども、フェイスブックやツイッターを超えるような新サービスを今のリクルートが生み出せるのか。そうした疑問を持つことは必要だと考えています。(談)
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