2017年1~6月期の世界販売で初の首位に立った仏ルノー、日産自動車、三菱自動車の3社連合。3社があたかも1社のように振る舞う“仮想大手”の膨張はどこまで続くのか。1999年から磨き上げてきたアライアンス戦略の要諦を探る。
(日経ビジネス2017年10月9日号より転載)

1999年、仏ルノーから日産自動車にCOO(最高執行責任者)として送り込まれたカルロス・ゴーン氏が大なたを振るった「系列解体」。中核部品メーカーであっても容赦なく取引関係が見直され、サプライヤーの間に激震が走った。それと似た光景が、今、岡山県倉敷市周辺で広がっている。
「この辺の部品メーカーの9割が仕事を失った」
こうため息をつくのは、同市の部品メーカーの経営者だ。同地には三菱自動車の主力工場、水島製作所があり、多くの企業が三菱自と取引していた。だが、三菱自が2016年10月に日産傘下に入って、状況が様変わりした。
別の部品メーカー経営者が説明する。「今まで窓口になっていた購買担当者が突然、三菱自の人から日産の人になり、仕様に関する用語も加工条件も変わってしまった。注文が日産の部品メーカーに奪われ、仕事が減った」
三菱自の益子修CEO(最高経営責任者)は部品メーカー各社に「日産と一緒になることで、発注個数が増え、部品メーカーにとってプラスになる」と話していたというが、現実は甘くはなかった。
再び吹き荒れる「ゴーンショック」。だが、この徹底した経済合理性は、ゴーン氏が1999年以来、築き上げてきた「アライアンス(提携)」の一断面だ。
アライアンスで最も得やすい果実は、購買コストの削減だ。ルノー・日産は2001年に共同購買会社のルノー・ニッサンパーチェシングオーガニゼーション(RNPO)を設立、以来、ルノーと日産は2社で共に購入できる部品の種類をグローバルで増やし、調達コストを削ってきた。
三菱自がルノー・日産連合に加われば、当然、三菱自もルノーや日産と同じ部品を購入することが求められる。三菱自での「系列解体」は自然の成り行きともいえる。益子CEOは言う。「部品メーカーには企業努力を加速してもらうほかない。淘汰はどの業界でも起こるのだから」
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