<b>「環境に合わせたFC体制を再構築することが急務だった」と語る下平篤雄副社長</b>(写真=竹井 俊晴)
「環境に合わせたFC体制を再構築することが急務だった」と語る下平篤雄副社長(写真=竹井 俊晴)

 FC改革を主導したのが、15年に出向・転籍した大手FC加盟企業から呼び戻された下平篤雄副社長である。「真のフランチャイズカンパニー」(下平副社長)に生まれ変わることを目指した。

 その変化の一端を、プロ野球独立リーグで埼玉県を本拠地とするチーム「武蔵ヒートベアーズ」の試合で見ることができる。試合中、選手が三振したりホームランなどを打ったりすると、マクドナルドのテレビCMのメロディーが流れる。埼玉県東部で37店舗を運営するFC加盟企業のジェイアール(埼玉県久喜市)がタイアップしているからだ。同社の横尾伸一代表は「以前の体制では実現は難しかったかもしれない。おかげで集客やスタッフの採用に効果が出ている」と話す。

 背景には、下平副社長が復活させたFCの地区本部制がある。全国を東日本、中日本、西日本の3つの地区に分け、各地区に執行役員が統括する地区本部を設置。186人の加盟店オーナーを複数のブロックに分け、店舗運営や人材採用・育成、財務の担当をそれぞれ配置して、オーナーの要望や相談に迅速に対応できる体制を構築した。

 横尾代表は、「店舗改装や金融支援など一定の裁量権を持った専任の担当者が地区本部におり、意思決定が早まった」と地区本部制を評価する。「改装する際、以前は要望を伝えても実現しないことが多かったが、最近では他店にはないデザインの壁紙を選べるようになるなど、店舗ごとの個性を出すことを認めてもらえるようになった」と話す。

 なぜ、加盟店の裁量はこれまであまり認められていなかったのか。今でこそ、2896店(17年6月末時点)の内、FC加盟店は68%(1963店)を占め、米国同様にFC主体の事業モデルになっているが、かつては違っていたからだ。

 下平副社長は「これまで、ほぼ10年単位で大きなビジネスモデルの変革があった」と振り返る。1970年代の創業期、80年代のロードサイドの大型店推進期、90年代のサテライト店(小型店)推進期、原田泳幸・前社長のFC化推進期、そして現在の再構築期である。

 71年に日本マクドナルドを設立した藤田田氏は、2003年に会長を退任するまで、直営店を主体に店舗を広げた。創業期のテークアウト主体の店から、ロードサイド店、サテライト店へと注力する出店形態は変化したものの、米国本社との関係上、藤田氏自身が日本におけるメガオーナーとして店舗拡大を主導する構図は変わらなかった。こうして店舗数は、02年末には3892店に至った。

 藤田氏の時代にも地区本部制はあったが、直営店を管理するための事業本部として機能しており、FC加盟店は地区本部ではなく本社のフランチャイズ部が統括していた。その結果、地域に根差した店舗運営が十分にできていなかった。

 この直営店主体のビジネスモデルをFC主体に転換したのが、04年に社長に就任した原田・前社長だった。07年からわずか2年で、FC比率を29%から54%へとほぼ倍増させている。その一方で、本格的なFC化に先立ち地区本部制を廃止した。01年に発生したBSE(牛海綿状脳症)問題の影響で厳しい経営環境に追い込まれて、本社に権限を集中する必要があったからだ。 FC化と中央集権化は、当初は有効に機能した。不採算店の大量閉店も同時に進めたことで、11年には過去最高の営業利益を記録している。だが、13~14年になると既存店の売上高が伸び悩んだ。消費者の嗜好が地域ごとで多様化し、もはや中央集権ではニーズを取り込めなくなっていた。「トップダウンではなく、各店舗が地域の環境に合わせて運営する仕組みの構築が急務だった」と下平副社長は打ち明ける。

再構築3 ピープルビジネス
教育テコ入れで人材の質向上

 復活に向けた取り組みの3つ目の柱が、人材教育のテコ入れだ。マクドナルドには「クルー」と呼ぶアルバイトが約13万人在籍している。歴代幹部が「マクドナルドはピープルビジネス」と表現するゆえんだ。