木南社長が環境問題に関心を持つようになったのは1980年代、兵庫県の六甲山の麓に住んでいた高校時代のことだった。大規模な住宅地の造成など開発が進む一方で、環境への負の影響が指摘されるようになっていた。ただ「環境破壊をどう乗り越えればいいのか、当時の大人は誰も解答を持っていなかった」。そこで京都大学に進学し、環境政策を中心に学ぶ。

 将来は官僚になって政策的な側面から環境問題に取り組もうと考えていた。その考えを変えたのが、90年代に巻き起こったIT(情報技術)ブームだ。インターネットベンチャーが社会を変える姿を目の当たりにし、木南社長は起業を志すようになる。大学卒業後、大手コンサルティング会社を経て2000年に独立。当時はまだ再エネ発電を手掛ける環境が整っていなかったため、企業の環境対策の支援やリサイクル事業などを手掛けてチャンスを待った。

 11年の大震災を転機に、国内でもようやく再エネ発電を後押しする環境が整い始めた。この機を逃さず、レノバは他社に先駆けて有望な立地を押さえることに成功する。「政策が整ってから参入したのでは遅かった。今ある計画の半分も実現していなかっただろう」と木南社長は振り返る。

再エネ発電参入で利益は急拡大
●レノバのEBITDAの推移
注:EBITDAは経常利益に純支払利息や減価償却費などを加えた数値

 再エネ発電で有望な地域には競合も殺到する。そこで勝ち抜くために必要なのは「再エネ発電を社会インフラにする理念」があるかどうかだという。発電プロジェクトを持ち込む事業者が収奪者なのか、あるいは地域社会と一緒に歩む共生者なのか、地域社会は冷静な目で判断する。「都合が悪くなるとすぐ撤退する企業は見抜かれる」という。

 レノバは膨大な数の関係者と綿密に話し合い、収益の一部を地域社会に還元するなど、案件ごとに共生策を練り上げていく。「大手企業のグループ会社が、地域に根を張り、関係者一人ひとりと関係を構築する手間をかけるのは難しい」(木南社長)

ベンチャーから電力会社に脱皮

「再エネの発電コストを下げ、日本を再エネ国家にしたい」と話す、レノバの木南陽介社長

 レノバには世界的な投資銀行出身の金融のプロから建設大手出身のエンジニアまで、多様な人材が集う。「ゼロから新しい電力供給の仕組みを作り、社会を変革する」。これが木南社長が人材を集める際の「殺し文句」だ。彼らの力を総動員し、事業にかかるコストや効率、設備の堅牢性を高める。「どんな災害にも耐え、高い収益を維持する発電所を実現できる」。金融機関をこう納得させることで資金を引き出し、短期間に数多くの再エネ発電所を手掛けることに成功した。

 木南社長の目標は足元で50億円程度のEBITDA(利払い・税引き・償却前利益)を1000億円まで拡大させること。「そこまでくれば、我々は『再エネベンチャー』ではなく、『電力会社』と呼ばれる」。木南社長の夢が実現し、レノバが「電力会社」と呼ばれる時、日本は再エネ中心のエネルギー大国へ脱皮しているのかもしれない。