(日経ビジネス2017年6月5日号より転載)

クルマでJR福井駅から約20分。郊外にある第一織物の本社を訪れると、整然と並んだ何十台もの織機がけたたましい音を立てながら生地を織り上げていた。資本金2000万円、社員数は52人。会社の規模こそ典型的な中小企業だが、同社の作る生地を目当てに、世界中の高級アパレルブランドが遠く福井にまで日参する。顧客に名を連ねるのは、高級ダウンジャケットで有名な伊モンクレールや仏ルイ・ヴィトンなど世界的なブランドばかりだ。
かつて日本国内で栄えた繊維産業は中国への生産移転によって急激な空洞化が進む。そんな中、第一織物は世界のアパレル市場に進出して、強烈な存在感を放っている。
合繊なのに麻や綿の質感
第一織物の主力商品は、超高密度で織り上げたポリエステル製の合繊生地だ。だが、高級ブランドを魅了しているのは撥水性や耐久性などの高い機能性だけではない。
むしろ「人の感覚に訴えかける、つまり『高感性』が我々の武器だ」と吉岡隆治社長は強調する。例えば、最近、大ヒットしている生地は、100%ポリエステル製にもかかわらず、麻素材にしか見えない。綿素材のような手触りと質感を持つポリエステル製の生地も、売れ筋商品だという。
縦糸と横糸をセットして機械で織り上げる。一見すると単純な工程だが、使う糸の種類や、織る力の加減を人の手で細かく調整することで、出来上がった生地は無数のバリエーションを持つようになる。世界的なブランドが第一織物を選ぶ理由は、匠の技で生み出す生地の高い質感にある。

第一織物は一度作った生地を、たとえ売れなくてもストックし続ける。アパレル業界は流行に大きく左右されるため、ずっと売れなかった生地がある日、突然売れ出すからだ。大ヒット商品に成長した麻の質感を持つ生地も「発売当初は『こんなもの誰が使うんだ』と散々な評判だった。でも大人気になったので、言った本人が後で謝りに来た」と吉岡社長は笑顔でこう話す。
吉岡社長が父親から会社を継いだのはおよそ35年前。当時は帝人の下請け企業の一社だった。
国内屈指の繊維産業の集積地として知られる福井だが、その歴史は急激に進化する中国製品との競争の歴史だった。当時、福井の企業の多くが考えたのが「高機能による差別化」。生地中の糸の密度を可能な限り高め、アパレル向けからスポーツ用、そして産業用資材へと進化していくことが生き残りの道だと考えられていた。
第一織物もその流れに乗り、ヨットの帆やパラグライダーに使われる高密度の生地を主力としていたが、バブル崩壊のあおりを受けて需要が急減。「合繊生地は巨費を投じて最新鋭の設備を導入すれば、すぐに高品質な製品を実現できる。その最先端を行く中国と機能性で戦ったら、必ず負ける」。そんな危機感を抱いた吉岡社長は、より高い機能を求めて突き進んだ国内産地と逆方向に動く。高感性を打ち出して、ファッション用生地に活路を見いだしたのだ。その象徴が1996年に開発した合繊生地「ディクロス」だった。
「例えば、生地中の糸の密度が100本から101本に上がったことを優位性だと言うこと自体が愚かだ。機能性を打ち出していくような商品は、生産の速さから価格まで考えて、日本に残る道理はない」。吉岡社長はこう言い切る。
第一織物が個性的なのは生地だけではない。同社の取引先は7割が海外だが、販売は自社で直接手がけている。技術力はあるが販路を持たない中小企業では、海外販売は商社などに任せるのが一般的だ。
ディクロスを完成させた後、吉岡社長は国内市場の縮小を見据えて、欧州など海外に販路を拡大しようと考えた。しかし、当時は「ファッション用の合繊生地という市場自体がほとんど存在していなかった」(吉岡社長)といい、海外で売ってほしいと商社に頼んでも「値段が高過ぎる」と、門前払いされるだけだった。
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