関東一円でLPガス事業を手がけるニチガス(日本瓦斯)。一部地域では都市ガスも展開し、縮小する業界で成長してきた。都市ガスの自由化を機に、東京ガスの牙城に攻勢をかける。東電と組み新事業展開も進める計画だ。さらにニチガスは、いち早く、あらゆる基幹業務のクラウド化に踏み切っている。この強みを新事業にも生かす。
(日経ビジネス2017年5月29日号より転載)
商店街の通行人に、ガス自由化とニチガスの安さを地道にアピールする(写真=竹井 俊晴)
「ガス自由化が始まりました。ニチガスをよろしくお願いします」
4月下旬、東京・JR中央線の高円寺駅前の商店街では、貸店舗を臨時拠点にした日本瓦斯(ニチガス)の社員がチラシの束を手にこう声を張り上げていた。東京ガスの請求書を持ち込めば、どれほどガス代が安くなるのかがその場で分かり、契約できるとアピールする。
今年4月、家庭向け都市ガス小売りが自由化した。これにより東京ガスや大阪ガスなど、既存の都市ガス会社が地域独占してきた市場に、どんな企業でも参入できるようになった。
国内最大の市場である首都圏で暴れまわっているのがニチガスだ。業界の盟主、東京ガスの牙城を切り崩そうと奮闘している。ニチガスは都市ガス導管網が敷かれていない地域でボンベによるLPガスを供給してきた。最近まで千葉県などの一部地域では東京ガスから原料供給を受け都市ガスも展開していた。この協業関係を解消した上で、東京ガスの市場に殴り込みをかけている。
7月には東京電力エナジーパートナー(EP)もガス事業への参入を予定するが、目標とする顧客件数は初年度に4万件程度。一方のニチガスは11万件の顧客獲得を目指し、あらゆる手を使って営業を強化している。
ニチガスは冒頭のような地道な販促活動を昨年11月から首都圏の各所で積極的に進めてきた。ただ都内での知名度はほとんどなく「当初は見向きもされなかった」と東京支店第1部の新井光雄部長は苦笑いする。
今年2月中旬に東京ガスの一般料金に比べて4%前後、セット割引を利用すれば最大で3割程度安くなる都市ガスの新料金プランを発表。加えてテレビCMなどの広告宣伝を積極的に展開し始めた。「ニチガス・ニ・スルーノ三世(ニチガスにするの賛成)です!」というお笑いタレントの出川哲朗氏をイメージキャラクターに使う宣伝を目にしたことがある人は首都圏では少なくないだろう。
業界の常識を破って成長
それでもニチガスの知名度は東京ガスに比べて圧倒的に低く、規模もアリと象ほどの差がある。ニチガスの顧客数はLPガスと都市ガスの合計で120万件程度(2017年3月末)と東京ガスの1153万件(同)の10分の1程度にすぎず、売り上げ規模も1割に満たない。勝ち目はあるのか。
無謀に思える戦いでも、新井部長の自信は揺るがない。「自分たちはLPガス業界で競争を勝ち抜いてきた。都市ガスの相手はガリバーだが、その経験があるので必ず乗り越えられる」
4月に自由化したばかりの都市ガスと異なり、LPガスは早くから自由競争が認められた分野。全国に約2万社もの業者がひしめき合い、しかもその需要は1990年代半ばから縮小している。こうした厳しい環境下でも、ニチガスは成長を続けたからだ。過去10年で見ると営業利益は2.4倍に、顧客数は1.6倍に増加している。
旧来の業界慣習をいくつも破りながら、成長をけん引してきたのがニチガスの和田眞治社長だ。
90年代に新設住宅着工の伸びが見込めなくなると「無償配管」と呼ばれる慣行から手を引いた。顧客を紹介してもらう代わりに、工務店や不動産会社に対し無償でガス設備の設置工事を提供する。そのコストは顧客に転嫁され、ガス料金として長期にわたって回収される。和田社長はこれをやめ、ガス料金を引き下げることを重視した。
LPガス市場の伸びが見込めない以上、ニチガスが成長するにはガス価格を下げて他社から顧客を奪い取るしかない。「それにはコスト構造を徹底的に見直すしかなかった」(和田社長)。そこで業務のシステム化に着手し、2000年代半ばにはいち早く自前でサーバーなどを保有しない「クラウドシステム」を導入。ガス事業に関連する大半の業務をクラウドに集約していった。
成果はLPガスの販売価格と業績の両面に表れている。同社の家庭用LPガスの平均価格は全国平均より2割以上安い。それでも営業利益は17年3月期まで6期連続で過去最高を更新した。
一般的なガス会社では顧客が増えると、その分だけ管理に手間がかかり、販売費・一般管理費(販管費)が増加していく。一方、ニチガスは足元でこそ顧客獲得を強化するために販管費の比率が高まっているものの、15年前後までは顧客数の伸びと反比例するように売上高販管費率が低下していた。自前の設備を持たないクラウドシステムでは、顧客数が増えても人手を増やしたり、余計な作業をしたりする必要がないばかりか、追加の設備投資も不要だからだ。このように低価格を実現しながら、利益も確保するビジネスモデルがニチガス最大の強みとなっている。
経営効率化を武器に顧客数が増加
●顧客件数と売上高販売管理費率の推移
11年には外資系資本の受け入れにも踏み切った。米金融大手のJPモルガン・チェース系のファンドから出資を受け、約100億円を調達したのだ。国内のエネルギー会社は外資の導入を嫌う傾向があるが、和田社長はためらわなかった。「旧来の発想で成長するのはもう限界だ」と見ていたからだ。
同年、ニチガスは自由化で先行する北米市場で電力の小売事業に進出している。将来の国内自由化に備えるためだ。「新しいことをやるには、海外で勉強し、鍛えるしかなかった」(和田社長)。北米事業は赤字が続いたが、16年12月期に初の最終黒字を確保。「勉強代」を回収するめどを付けた。
一方の国内。ファンドからは徹底的な効率化と規模の拡大を求められた。業務の効率化は進み、顧客数も年間5万件ペースで増加。それでもファンドも和田社長も満足しない。和田社長は「年間11万~12万件の顧客獲得を目標にする」と伝えていたからだ。
これを達成するには企業買収など非連続な打ち手が必要だが、業界で異端視されるニチガスの軍門に下ろうとする同業者はなかなか現れない。人口が密集し、成長を続ける東京エリアは垂涎の市場だが、そこには地域独占の壁があり、東京ガスが市場を握っている。
東電とプラットフォーム構想
その壁が崩れるきっかけとなったのは11年に東電で起きた福島第1原子力発電所の事故だ。電力・ガス供給のあり方が見直され、業界の抵抗によって遅々として進まなかった自由化が一気に進展した。
これを機に和田社長は事故の当事者である東電に急接近する。「東電の存在感は圧倒的。20年前から組んで仕事をしたいと考えていた」からだ。これまでニチガスの秋波に東電が応えることはなかった。だが事故後の環境激変で潮目が変わった。「新しいことにチャレンジしなければ生き残れないと考える人が東電で増えてきた」(和田社長)
東電は日本最大のLNGの輸入企業。手元には大量の都市ガス原料がある。だが家庭向け都市ガスのノウハウが足りない。厳しい競争を戦った経験もない。福島原発事故費用を負担しなければならず、都市ガス事業に販促費用を大規模投入する余裕もない。
東電と組み、異業種が参入できる仕組みを構築
●ニチガスと東電の協業の枠組み
こうした東電に足りないものが、ニチガスの手中にはある。和田社長は東京電力ホールディングスの広瀬直己社長(当時)や東電EPの小早川智明社長(同)、さらに経済産業省の幹部などと立て続けに会い、提携にこぎ着ける。
16年、ニチガスは既存の都市ガス事業の原料調達先を東京ガスから東電EPに切り替え、さらに今後、両社で新しいエネルギー供給サービスを展開すると発表。
(ニチガスは8月3日に、東電EPと新会社設立について発表する予定)
両社が組めば、電力とガスのどちらも展開できる。この枠組みを「エネルギープラットフォーム」として他社に提供する考えだ。これにより異業種の企業は主力事業にエネルギーサービスを容易に加えることができる。
すでにニチガスは音楽放送大手のUSENと、プラットフォームの利用を前提に相互送客の準備を進めており、近く正式に発表する公算が大きい。加えて、様々な異業種の企業とも協議しているとみられる。
プラットフォーム構想の中でニチガスが果たす役割は、都市ガス小売りの営業やガス器具の保守にとどまらない。同社が最も売りになると考えるのが、進化を続けてきたクラウド事業だ。
ニチガスは14年までに、物流からガス器具の保守と保安、料金の管理、ガスメーターの検針まで、ありとあらゆる業務を順次クラウド化していった。これによりガスメーターの検針員から営業員まで、スマートフォン(スマホ)一つあれば基幹業務ができる仕組みを構築。「ここまで徹底してクラウド化ができているガス会社は全国的にも例がないだろう」と森下淳一常務取締役は自賛する。
ガス事業のあらゆる業務をクラウド化
●ニチガスが開発した「雲の宇宙船」
社員がどこでどんな作業をしているか、本社のモニターで把握し、効率的な営業や保守体制を構築(左)
ガスメーターの検針から入金管理、配送まで独自アプリで作業できる(右)
「雲の宇宙船」を武器に
例えば、配送。ニチガスが関東に抱える14カ所のLPガス配送拠点は全て無人運用されている。顧客宅のガス利用状況を随時把握し、ボンベの交換時期を予測。どのようなルートで配送するのが一番効率が良いのかまで自動で割り出し、前日の夕方には各配送員に細かく指示が送られる。ニチガスの全社員が今どこで何をしているのかもスマホ経由でモニターし、顧客宅でガス漏れがあったり、クレームがあったりすれば、近くにいる作業員や営業員が直ちに駆けつけられる。
ニチガスのガスメーターには「QRコード」が張りつけられている。スマホで読み込めば、顧客の個人情報やガス器具の状況を把握できる。器具をメンテナンスする際は、スマホ画面にチェックリストが表示され、入金確認もその場で可能。データはリアルタイムにクラウドに送られるので、社員が拠点に戻って伝票を入力する手間も省ける。
足元でも進化は急ピッチで進む。16年9月にビッグデータ解析やAI(人工知能)、フィンテックなどを手がけるITベンチャー、メタップスと資本業務提携し、AI導入や顧客向けの新しいウェブサービス、決済システムの導入を進めている。
AIで顧客の需要をより精緻に予測したり、問い合わせに自動対応したりするサービスを開発している。「足元で16以上のプロジェクトが進行中だ。システムができることは極力システムに任せることで、新しいエネルギーのプラットフォームを作る」とニチガスの柏谷邦彦常務取締役は意気込む。
同業者や異業種の利用が広がれば膨大なデータが積み上がる。それをメタップスのようなITベンチャーを活用して解析することで新サービスや技術を生み出す。それを目当てにさらに顧客が増えていく好循環を期待する。「例えば水道局や電力会社に使ってもらい、水道、電力、ガスなどのインフラ業務を一括処理できれば効率化が一気に進むだろう」(向井正弘常務取締役)
ニチガスの本社1階には仮想通貨ビットコインのATMが設置されている。昨年10月にビットコインで料金を支払えるサービスを始めたこともあるが、新たなサービスに取り組んでイノベーションを起こし、業界を変えるという強い意思も込められている。
営業に批判、問われる姿勢
構想は壮大だが、一方でニチガスの営業姿勢について批判も高まっている。顧客を勧誘する際、説明や手続きが不十分だったり、誤解を与えるような表現があるという苦情が、消費生活センターや電力・ガス取引監視等委員会などに多数寄せられている。委員会はこれを問題視しており、ニチガスに説明を求めたほか、厳しく調査、対応する考えもあるようだ。
ニチガスは営業プロセスの抜本的な見直しに着手し、問題があったとみられる顧客には直接謝罪して回るなど対応を取っているという。ただニチガスに対しては以前から、時に強引な営業について批判があったのも事実。業界からは「結局姿勢は変わらないのか」という冷ややかな声が広がる。
都市ガスの自由化競争はまだ緒戦。ニチガスの評判に傷がつけば、構想実現はおろか、今後の成長すらおぼつかなくなる。日本を代表する企業への脱皮を図るにはイノベーションも重要だが、それ以上に最優先すべきなのは、苦情が出ない仕組みや組織作りに地道に取り組むことだろう。
INTERVIEW
和田眞治社長に聞く
独占にストレスを感じる人は多い
日本は資源を持たない国であるがゆえに、エネルギー供給に関しては安定や安全がずっと優先されてきた。本当は価格の安さも大事だが、この3番目の価値がこれまで犠牲になってきた。
少子高齢化の時代を迎えた日本のエネルギー業界が、今までと同じ状態でいいわけがない。もっと事業を効率化して、料金を下げて、消費者に貢献しないと業界はだめになってしまう。
価格を安くするには、業務を一から見直すしかない。規制で守られてきたこともあって、とにかくこの産業には無駄が多いと考えている。そこで私たちは20年前から業務のIT化やクラウド化を進めてきた。当時は何をやっているんだとバカにされたものだが、結果がついてきている。外資を受け入れたときもそう。ニチガスはファンドに食いつかれ、ボロボロになるだろうと散々言われた。
東電と提携で何を狙っているのか。これも20年ほど前から、東電と一緒に仕事をしたいと思っていた。今回の提携でその念願がかなったわけだ。東電のような、どちらかといえば保守的な企業と、その対極にある我々との協業など絶対に成功しないという見方もある。確かにリスクはある。だが失敗のリスクがあるからこそやるべきだし、組んでみなければ新しいことには挑戦できない。
ガスにしろ電力にしろ、独占企業のサービスにストレスを感じていた人は多いはずだ。1人でできる仕事を、安全性を高めるといって5人くらいで分担し、料金に上乗せしてきたのが「総括原価方式」である。この仕組みが長らく続いたせいで日本のエネルギー産業は世界に後れを取った。自由化した市場で東電と新しいプラットフォームを作り、多様なプレーヤーを募ってイノベーションを起こしていく。ようやくその一歩が踏み出せた。
自由化の本当の意義は、独占企業を排除するとか、エネルギー会社同士の再編を進めることではない。新しい知見をどんどん取り入れて、産業を変えていくことだ。エネルギー業界は典型だが、日本はリスクを嫌う傾向が強くなっている。志や能力の高い人が活躍しづらい状況になっているのではないか。生意気かもしれないが、私は自由化で誕生する今回のプラットフォームを、有能な人が活躍できる“聖地”にしたいと考えている。(談)
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