同社の主力製品、ミニショベルがまさにオリジナル製品だ。コマツなど競合が手掛けるのは、主に数十トンクラス。そこに竹内製作所は2トンの「超軽量」のショベルカーを世に送り出し、市場を切り開いた。1971年のことだ。

 きっかけは土木会社から舞い込んだ相談だったという。「大型ショベルが入れない狭い場所で使える小回りの利く便利な機械はないかね」。高度成長期で宅地造成や水道工事があちこちで進められていたが、現場の作業はスコップやツルハシを使っての人力頼み。機械化ニーズは高かった。

 販売すると、飛ぶように売れた。「塗装が乾く前に出荷せざるを得ず、夕立にあって塗装をやり直したこともあった」。創業者で現在84歳の竹内明雄社長はそう懐かしむ。

 大手が手掛けない領域に入り込み、新たな需要を生み出す。それは、中堅企業が生きる王道でもある。「資本力に勝る大手とウチが正面からぶつかっても勝てない」。竹内社長はそう割り切る。

 同社が欧米市場で躍進できたのも、国内での大手企業との競争を避け、海外で「オリジナル商品」を送り出すことに活路を見いだしたからに他ならない。

こだわった自社ブランドでの展開

 ミニショベルでは80年前後にもなると、国内の競合大手も続々と市場参入。競争は激しさを増していた。竹内社長は経営基盤を固めるべく、ヤンマーやIHI、神戸製鋼所などに向けミニショベルのOEM(相手先ブランドによる生産)も始めた。だがこれでは自社ブランドはいつまでも育たず、生産計画などの主導権も取引先に握られたまま。これでは成長はおぼつかない。

 そこで進めたのが海外シフト。もちろん、すぐに成功を手にしたわけではない。しょっぱなから竹内製作所の建機は壁にぶち当たった。ミニショベルの平均的な稼働時間は海外では年に約2000時間。国内の2倍にのぼる。国内仕様の製品ではとてももたないのだ。竹内製作所は部材の板厚の見直しなど耐久性の強化に追われ、現地市場で受け入れられる製品作りを急いだ。

1989年、ベルリンの壁崩壊。実は約40台の竹内製作所製のショベルが取り壊しに活躍した

 海外の競合製品と遜色ない耐久性を実現しても、実績も、ブランド力もない竹内製作所の建機が売れるわけではない。競合メーカーの製品とどこで「差」をつけるか。追求したのが、「オリジナル製品」だ。

 モノ作りは愚直だ。基幹部品のエンジンや油圧機器は外部の専門メーカーから調達するが、それを一つの建機に仕上げる「すり合わせ」の巧みさで品質や性能を向上させてきた。特にショベルの滑らかな動きや作業精度の高さを極めることに力を注いだ。その高い基本性能の上に竹内製作所が差異化の切り札としたのが、競合の常識からは「過剰」とも映る製品の機能拡充だ。