その間、シチズンホールディングス(HD)は電波時計などの先進技術を武器に成長し、カシオ計算機は「G-SHOCK」ブランドでアジア市場を切り開いた。出遅れていたセイコーもようやく復活しつつある。

三菱商事出身の再生旗振り役

 再生の旗振り役が、三菱商事の鉄鋼部門から転身してきた梅本宏彦セイコーウオッチ副社長。2011年2月の営業トップ着任直後に東日本大震災が起こったが、「とにかく攻めだと社内にハッパをかけた」(梅本副社長)という。

 まず変えたのがマーケティングだ。グランドセイコーの従来のターゲットは富裕層や時計愛好家で、40~50代が中心。数が少ない上に、顧客をスイス勢に奪われてきた過去がある。

 そこで長年のセオリーを覆し、時計にそれほど関心のない「潜在需要層」や、結納返しなどの需要を担う「ライフイベント層」を取り込む戦略に切り替えた。従来よりも比較的若い層になるため、新たなブランドイメージを作る必要があった。

 新たな広告塔の候補に上がったのは、当時、米メジャーリーグへの挑戦が決まっていたプロ野球選手のダルビッシュ有氏。一流のアスリートが日本を背負って世界に打って出る姿勢と、グランドセイコーが目指すブランドイメージが共通していたためだ。

 現在はプロサッカー選手の武藤嘉紀氏など、アスリートや有名人を起用するセイコーだが、ダルビッシュ氏の起用は社内で大反対の嵐だった。

 それまで約50年の歴史の中で、グランドセイコーの広告で有名人を使ったことがなかった。時計愛好家にアピールするため、機械の精密さや品質の高さを前面に押し出すのが「伝統」だった。

 「屋台骨であるグランドセイコーの既存顧客が離れたらどうするんだ!」。社内のマーケティング担当者からは反対意見が相次いだが、梅本副社長は決断した。「セイコーの生え抜き社員は真面目だが、伝統が邪魔をしていた。押し通せたのも中途入社の私だったから」と振り返る。激しい議論の上で社内を説き伏せ、最後は取締役会で承認。過去の数倍の広告宣伝費を投入した。

 ただ、いくら宣伝しても売る場所がなければ意味がない。梅本副社長は販売店の開拓も並行して進めていた。

 当時のセイコーには課題があった。売り場に“顔”がなかったのだ。大手百貨店や時計専門店の売り場は1990年代以降、スイスブランドに席巻されていた。セイコーの時計も扱いはあったが、「独立した売り場ではなく時計ごとにバラバラに展示してあり、目立たなかった」(梅本副社長)。セイコー製品だけを扱う「セイコープレミアムウオッチサロン」の設置を依頼しても、「スイス時計を売った方がもうかる」と見向きもされなかった。

 それでも、試験的にサロンを設置した高島屋横浜店で売り上げが伸びたデータなどを示し、粘り強く交渉を続けた。結果、2008年に1店舗だったサロンが2012年には21店舗に増えた。

生産、店舗、マーケティングの連携で売り上げ伸ばす
●国内市場における三位一体戦略
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