「ベビースター」ブランドの菓子メーカー、おやつカンパニーがファンドに買収されて3年半。これまで取材を受けてこなかった創業家が、初めてその狙いと改革の中身を語った。背景には、事業継承と持続成長という、全てのオーナー企業に共通の悩みがあった。

(日経ビジネス2018年1月29日号より転載)

「ベビースター」ブランドを中心に大人向け市場などを拡大し、事業を成長させてきた(写真=スタジオキャスパー)
「ベビースター」ブランドを中心に大人向け市場などを拡大し、事業を成長させてきた(写真=スタジオキャスパー)

オーナーも組織も準備に3年

 「カーライルのネットワークを活用し、海外展開を加速していく」──。

 スナック菓子「ベビースターラーメン」を手掛ける非上場会社、おやつカンパニー(三重県津市)が、そんなコメントを出したのは2014年5月。売上高200億円程度の地方のオーナー企業が、世界的な投資ファンドである米カーライル・グループの資本を受け入れたことが注目を浴びた。だが、創業家2代目の松田好旦氏は、狙いや経緯について一切口を閉ざしてきた。松田氏が初めて、決断の背景や苦悩を日経ビジネスに語った。

 「(投資ファンドの資本を受け入れる)今回のスキームは十数年前から考えていました。当初は2人の息子を入社させて、事業継承をする予定でした。長男は銀行にお世話になって、次男は海外展開に備えて海外で勉強をさせました。でもね、気付いたんです。DNAでは経営はできないと」

1948年生まれ。74年に松田食品(現おやつカンパニー)に入社し、89年に創業2代目社長に就任。(写真=菅野 勝男)
1948年生まれ。74年に松田食品(現おやつカンパニー)に入社し、89年に創業2代目社長に就任。(写真=菅野 勝男)

 「昔は家庭と職場が近かった。私は、遅くまで仕事をしたり、苦労したりするおやじの背中を見て育ちました。でも今は職場と家庭がまるっきり別で、私が夜遅く帰っても、その理由を息子たちが知ることはできません。そう考えると、同じDNAを持っていても、事業を継ぐのは難しいんです。3代目には甘えもあります。日本の社会で基本的に3代続いた企業はありませんよね」

 「ただ、我々くらいの規模の企業になったら、『公益企業』として潰すわけにはいきません。永続的な発展が必要です。そのためには、グローバル化は避けられません。少子高齢化で日本の胃袋が減るからです。それともう一つ、私にとって大きな目標がありました。『日本のスナック業界でナンバー2を目指す』というものです。そう考えたときに、創業3代目は無理だなと気が付きましたし、この目標を達成するには、同族にこだわらなくていいと思いました。そこで、子供が当社に入社することを認めませんでした」

 「それと、こういう話はタイミングがあります。事業環境がいいときにやらないと、こちらの意向をくんではもらえません。今、スナック業界は競争が厳しくなっています。スーパーの売り場を見てください。スナック菓子の棚に並ぶのは、カルビーや山崎製パンの子会社の東ハトやヤマザキビスケットなど大手企業の商品が中心です。この先、本格的に中堅企業では棚を取れない時代になる。その前に何か手を打たないといけないと思ったことも今回の決断をした理由の一つです」

 「最初は事業会社と組むことを考えていました。食品メーカーはもちろん、いろんな会社に話を持っていきました。ただ事業会社に『海外展開の強化をお願いします』と言っても、確約はなく、やってくれないかもしれません。それと、もう少し、自分自身が社長をやりたいという思いがありました」

 「そうした中で、カーライルに出合いました。カーライルとは『海外は我々がやって、国内は社長に頼みます』という話ができました。お互いにすみ分けができたんです。それにカーライルの担当者はみんな日本人で、コミュニケーションもしやすい。他のファンドからも提案はありましたが、カーライルが私の考えを最も理解してくれました。カーライルを選んだ判断は、今も正しかったと思っています」

脱創業家に拙速な改革は禁物

 関係者によると、松田氏はカーライルにおやつカンパニーの株式の50%超を200億円超で売却したとみられる。それから3年間、松田氏とカーライルが取り組んだのは、創業家である松田家がいなくても持続的に成長できる経営体制を構築することだった。カーライル・ジャパンでおやつカンパニーを担当する富岡隆臣マネージングディレクターは、「我々が資本参加するまで100%松田家の会社で、外部の人間は経営に一切、関与していなかった」と当時を振り返る。

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