ドライブスルー型の支店から、女性行員の“アイドル”グループ活動まで。およそ銀行らしからぬ銀行だ。進めてきたのは徹底した顧客志向。異業種との厳しい競争、人口減を生き抜くためだ。行員の意識改革と従来のイメージにとらわれないサービスで、お堅い銀行の体質を変えてきた。
(日経ビジネス2018年1月15日号より転載)
ドライバーが運転席に座ったままで預金の引き出しなどができる「ドライブスルーながくて出張所」(写真=臼井 喜美夫)
愛知県長久手市。名古屋市と豊田市に隣接するベッドタウンの幹線道路沿いにちょっと変わったドライブスルー店がある。
車で乗り付けたドライバーが、窓から顔を出した女性従業員に声をかけた。「振り込みをお願いしたいんだけど、このまま座っていていいですか」
ファストフードのハンバーガー店かと思わせるここは実は銀行。岐阜県大垣市に本店のある大垣共立銀行の「ドライブスルーながくて出張所」だ。
同行に口座を持っている人なら、店舗の窓から顔を出した行員と必要なやりとりをすれば、引き出しや振り込み、口座振替手続きなどほとんどの窓口サービスを使える。預金の引き出し額などの入力は、行員が来店客の代わりにパソコンを使って進める。いずれも手続きは数分以内。隣には、やはり運転席に座ったままドライバー自身が扱えるATMを設置したレーンもある。
2013年に設置したながくて出張所の利用者数は今、1日平均約200人。「開業時からかなりの伸びを見せている」(ながくて出張所)という。営業エリアの住民の多くが車で移動する実態をぴたりと捉えている。
同行は、前後してこのながくて出張所の他にも羽島支店(岐阜県羽島市)、藤沢支店(愛知県豊橋市)にドライブスルーで利用できるATMを備え、やはり利用頻度は高いという。
「これ銀行?」。思わずそう言ってしまいそうな店舗だが、それこそが大垣共立銀行の最大の特徴なのだ。ドライブスルー店以外にも、従来の銀行のイメージを覆す「らしくなさ」があふれる。
同行の略称である「OKB」を使った地域おこしの活動も話題性のあるものばかりだ。行員から希望者を募り、女性ユニット「OKB45」を組織。地元の様々なイベントの盛り上げ役となる。アイドルグループ、AKB48と比較されて話題となったが、狙いは地域経済の活性化だ。
コメや野菜も栽培する農業法人のネーミングライツを買い「OKB農場」と命名した
さらには地元農業法人からネーミングライツを買って、「OKB」を冠した農場もある。知名度向上と親しみやすさを演出するだけではない。生産から加工、販売まで一貫したビジネスで農林水産業の収益力強化を図る6次産業化の支援活動でもある。
日銀のマイナス金利政策の導入で利ざやが薄くなるなど、銀行を取り巻く環境は激変している。特に人口減など構造問題のある地域経済に依存する地銀はより厳しい環境に置かれる。
そんな中、独自色を打ち出した経営が奏功し、大垣共立銀行の業績は好調だ。17年3月期には5年前と比較して預金残高は約7800億円、貸出金も6600億円、いずれも約2割増やしている。預金のうち貸し出しに回る割合を示す預貸率は約81%(17年3月期末)と、地銀平均の72.92%(同、64行、東京商工リサーチ調べ)を約8ポイントも上回る。他の地銀が貸し出し難に苦しむ中、好調な状況だ。
預金だけでなく、貸出金も伸ばしてきた
●大垣共立銀行の業績推移
このユニークで強い銀行を作り上げたのは、1993年に当時、地銀最年少の46歳で就任した土屋嶢頭取。目指したのは「徹底したサービス業」だ。
「96年に始まった金融ビッグバンで、それまでの護送船団方式と呼ばれた銀行行政が一変した。他業種からの金融業参入も始まり、『今のままで本当に生き残っていけるのか』と思った」
就任後まもなく始まった激変に土屋頭取は強烈な危機感を抱いた。そして、その懸念はすぐに現実になる。
1年間のコンビニ店長研修
以前は銀行で預金を引き出し、窓口で公共料金を支払っていた顧客が、コンビニエンスストアで支払いを済ませるようになった。さらにコンビニにATMが普及したことで銀行に来ることすら少なくなり始めた。異業種に領域を侵食される風景を目にしながら、土屋頭取は銀行のあり方を変えようと決意したという。
しかし、かつては大蔵省(現・財務省、金融庁)の護送船団行政で守られて、潰れることはないといわれた銀行。その体質を変えるのは容易なことではない。
そこで、土屋頭取が取り組んだのが「堅くて保守的な組織」を変えるための改革だった。
まずは、行員の意識を変えていくことから。お題目を唱えるだけでなく、具体的な行動を伴う意識変革を進める人材を育てようと、行員を毎年数人以上、異業種に1年間派遣する研修を取り入れた。大手コンビニチェーンに出向し店長を務めたり、携帯電話会社で企画などの仕事をしたりしている。最近は製造業でラインに入るほか、ホテルでサービス業の最前線に立つケースもあるという。
「銀行の枠にとらわれないで、新たなサービスを提供できる人材を育てること」。加藤寛・人事部能力開発センター課長はその狙いについて語る。異業種研修で、サービス業化につながる新たな視点を身につけようというわけだ。98年に始めたこの制度で異業種の職場を経験したのは、これまでに100人規模に達する。
その成果の一つが、名古屋市の南、知多半島にある半田支店。2009年9月に開店した同支店は、コンビニと見まがうような外観だ。道路沿いに大きな看板が立ち、「雑誌・喫茶」「トイレ」「コピー」という文字が躍る。しかもその上には、同行が略称として使っている「OKB」が大きく載っている。初めて通りかかった人なら、およそ銀行とは思わないだろう。
コンビニのような半田支店には約100冊の雑誌を置き、銀行に用のない来店客も歓迎している(写真=臼井 喜美夫)
店舗に入ると、漫画や女性誌、週刊誌などが100冊以上も並ぶ広々とした雑誌コーナー。待合室の隅に申し訳程度に雑誌が並ぶ従来の銀行とはかなり異なる。待ち合わせや、雑誌を読むためだけに来る人も多い。コーヒーなど無料の飲み物も用意している。
そんな来店者を迎える行員は、コーポレートカラーの黄緑色を基調としたカラフルなジャンパーを着ており、これまたコンビニの従業員さながらだ。半田支店長の馬淵建志氏はコンビニ研修の経験者。01年3月から1年半、大手コンビニチェーンに出向し、店長を務めた。その経験を買われて開店前に企画チームに加わり、現在は店舗を切り盛りする立場となった。
県人口25%減に生き残る
「コンビニに大事なのは、気兼ねなく入りやすい明るい雰囲気があること。そして、いろんな情報が手に入れられるというメリット。そんな店作りを考えてこの店を企画した。異業種研修を経験していなかったら、『あれはできない、これも無理』と否定から考えていただろう」
大垣共立銀行は半田市内では最後発で、早く地元に浸透させるのが課題だった。コンビニ型店舗を作ったのはそのためだったが、狙いは的中。独特の店作りが評判になった。今も1日平均250人の来店客がある。もっとも、うち200人は雑誌を読みに来たり、一休みしたりするだけ。収益に直接結びつく銀行自体の来店客は実質50人ほどだが、地元住民の一人は「他の地銀の支店より、利用者はかなり多いようだ」と言う。
立ち寄るだけの客にしても「ATMを使ってくれたり、自動車や住宅ローンを利用してもらえたりする人が出てくる」と馬淵支店長。顧客は、そんな親しみやすさから増やすというわけだ。
土屋頭取の意識改革は従来の銀行の発想になかった取り組みをさらに生みだしている。先行して始めていたATMの土日稼働や窓口業務の365日受け付けの導入後、コンビニ型店が成功。その次に取り組んだのが冒頭で紹介したドライブスルー店だった。14年には来店客が500円を払うと、順番待ちをせず優先的に振り込みや預金の引き出しなどができるサービスも開始した。
一次産業支援で地元農業法人の農場に「OKB」の名前を冠したのは15年。16年からは、シャッターが目立つ地元商店街に「OKBショップ」を開いた。ここでは長良川の清流を使った天然水や、地元のシェフが作ったチョコレートや地元の名産品などを扱う。
毎年のように新たなサービスに乗り出すのは、利便性向上とともに地元の中堅・中小企業を強化するためである。他県同様、地盤の岐阜県も人口減に悩む。00年に約210万人だった県内人口は15年までに約7万6000人も減少、45年には151万人まで落ち込むと推計されている。
地元経済の衰退を食い止めなければ、大垣共立銀行自身も厳しい環境に置かれることになる。そこで、顧客の利便性向上と並んで力を注ぐのが中小企業の経営強化だ。
もちろん、中小企業の経営支援は、どこの地銀でも重要課題。しかし、同行の場合、独自の考えで専門家を育成してきた点に特徴がある。
「航空機産業はこれから市場が大きく拡大します。新たなビジネスチャンスを生かしてみませんか」
情報渉外課の下條崇調査役はここ10年、地元企業を熱心に口説いて回った。下條調査役が呼びかけたのは、11年から納入が始まった米ボーイング社の旅客機「787」など中型を中心に活気づく旅客機市場への参入。新興国の経済発展などによって大幅な市場拡大が見込まれ、日本企業にもビジネスチャンスが広がりつつある。
脱・銀行型人事で専門性養う
名古屋市から岐阜県南部にかけては、三菱重工業や川崎重工業の航空機部品工場などが立地し、日本での航空機産業の集積地となっている。この地の利と市場拡大のタイミングを捉えて新規参入を狙おうというわけだ。
談話室風の内装にしたテラッセ納屋橋支店(名古屋市、左)。手のひらだけで本人認証できる装置も導入(写真=臼井 喜美夫)
もっとも、中小企業が1社で航空機部品を生産するのは容易ではない。そこで下條調査役は、複数の中小企業が得意技術を持ち寄り共同で部品を生産するよう仲介役として動いてきた。
航空機は高度な技術と製造能力の高さが要求される分野。大手メーカー側のニーズを正確にくみ取り、複数の中小企業を組み合わせるには、銀行員といえども専門性が不可欠だ。
下條調査役が中小企業の育成に携わるようになったのは05年。既に13年ものキャリアがあるが、これは2~3年で異動するのが一般的な銀行としては異例のこと。しかも、情報渉外課には5~6年も在籍し、地場産業などに高い専門性を持つ人材はざらにいるという。
下條調査役は、その専門知識と人脈を生かして10年から、大手メーカーの技術者らを講師に航空機産業セミナーを毎年開くなどして、中小企業に参入を促してきた。その結果、16年8月には、複数社による共同開発体制を整えた。放電加工に強みを持つ日電精密工業(岐阜県大垣市)、高度な切削加工技術のある岩田鉄工所(岐阜県羽島市)、仕上げ研削の得意な大堀研磨工業所(岐阜県各務原市)、精密板金と穴あけに高い技術を持つツカダ(岐阜県関市)などによるグループが発足。大手重工メーカーと協議しながら航空機エンジンの部品開発に入ろうとしている。
「1社だけでは何もできなかったが、グループを作れたことで、もう一段高い技術にも挑めるようになった」。日電精密工業の吉田圭二・取締役は、銀行の支援を評価する。
こうした“先端”企業の事業拡大を後押しすると同時に力を入れるのがごく普通の中小企業の経営改善だ。そこでの特徴は、顧客企業の身の丈に合わせたきめ細かい対応にある。
「最初から大がかりな改善をしようとしない。費用もかかるし中小企業には負荷が大きい」。コンサルティングを担当するグループ企業、OKB総研の担当幹部はこう説明する。
例えば、中小企業から人事制度の整備について相談を受けた場合、通常のコンサルティング会社は、採用から評価制度に至るまで幅広い見直しを提案することが多い。だが、中小企業だと、一度に大がかりな改革をしようとしても、社内の人材や資金的な余裕など対応できる体制が十分でないことがある。できることは限られるのだ。
そこでOKB総研では、従業員の採用などごく一部分の相談から引き受ける。体力と緊急度など必要性に合わせて現実的な方法を取り、そこから評価など他の制度の整備に徐々に広げていくのである。
愛知県でカレーハウスCoCo壱番屋のFC店を14店展開するホープ(岐阜県岐南町)もそんな会社だった。1993年創業で社員24人、アルバイト220人まで成長したが、気がつくと「社員のキャリアプランも無かった」(加藤幸滋社長)。OKB総研に依頼したのは、そのプラン作りのためだった。
サービス業化戦略を徹底して追求した
●大垣共立銀行のユニークな取り組み
(写真=上・下:臼井 喜美夫、中:Getty Images/ICHIRO)
もともと、ホープでは社員はいずれ独立してFC店を開業するのがキャリアプランだった。しかし、最近はリスクのある起業より、社内で昇進することを求める人が増えてきた。そこで、会社として2025年ごろまでに店舗をどう増やし、管理組織をどう作る必要があるかを、まず社員に検討してもらった。その上でOKB総研側からアドバイスをする形でプランを作り上げていった。その方が、社員自身に企画力や経営力がつくと考えてのことだ。
コンビニ型やドライブスルー型といった店作りに象徴されるように、サービス業として時代の変化に追随する。同時に、地銀の顧客である地元企業の底上げという本業の足腰強化に独自の手を打つことで、大垣共立銀行は少しずつ融資を積み上げてきた。だが今、低金利の長期化や金融とIT(情報技術)が融合したフィンテックの台頭で銀行の足場は大きく揺らいでいる。さらに前例にこだわらないサービスを打ち出し続けられるか。継続力が問われることになる。
INTERVIEW
土屋嶢頭取に聞く
あらゆる場面で役立つ存在になる
1993年、頭取に就任した時、痛切に感じたのは「銀行は本当に個人に寄り添った存在になっているのか」ということだった。当時の銀行は、顧客が預金を引き出したい時でも、十分に応えてはいなかった。夜になるともうATMは稼働していないし、土日には、支店はもちろん営業していないからだ。
なぜそうなるのか。それは、護送船団方式で、他行と同じことをしていれば生きていける時代だったからだ。
しかし、私が就任して間もない96年に金融ビッグバンが始まって競争環境は一変した。事業会社が金融業務へ参入しやすくなり、証券会社や保険会社と銀行との相互参入の規制もほぼなくなった。既に預金金利は自由化されていたし、競争は他業種を含めて激しくなる。こんなことで我々は将来、生き残っていけるのか不安に思ったものだ。
だからもっと個人顧客のメーンバンクになろうと考えた。個人のお客様の学生時代から就職、結婚、子供の誕生……。あらゆる場面で一貫して役に立てる存在にならないといけない。だから、真の意味でのサービス業になろうと思ったのだ。
そのために20年かけて改革を進めてきた。行員をコンビニエンスストアやホテル、製造業など異業種に派遣したのもそのためだ。規制に縛られ、自らもそれになれた銀行の枠を打ち破ってほしかった。そんなものにとらわれない自由な視点を持ってもらう必要があった。
そして、それは店舗を顧客目線で役に立つものに変えるところに生かされている。マンションなどの不動産を当行グループで管理するなど新しいサービスも広げている。(ネーミングライツを持つ)OKB農場で生産した野菜やコメも規制がなくなれば自分たちで売りたい。まだ手がけられることは多い。中小企業の皆さんへの様々な支援もその一つ。そうやって幅広いサービスを提供して、いろんな事業で収益を上げられる存在になる。
やがては「OKBって銀行もやっていたの?」と言われるようになりたいとさえ思っている。(談)
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