「利益後回しでも支店増やす」

 1981年。医療機器の輸入商社に勤めていた社員22人が独立し、日本ライフラインを設立した。増本武司会長と鈴木社長も創業メンバーだ。

 その際、元の商社から心臓ペースメーカーの国内独占販売権を引き継いだ。これが日本ライフラインの起点となる。海外メーカーの医療機器の販売権を獲得し、輸入した製品は代理店任せにせず自分たちで国内の病院に販売してきた。

 ただし、単なる専門商社の域を超える強みを磨いてきた。まず、当初から心臓外科で働く医師とのパイプ作りに注力してきた。「利益は後回しにして全国に支店を増やしてきた」と鈴木社長が振り返るように設立10年足らずで営業拠点を全国8カ所に開いた。2017年1月現在、支店の数は36を数える。

 1支店当たりの人員が異なるので単純に比較できないが、この数は国内の大手医療機器メーカーをしのぐ。患者の生命に直結する商品を扱うため、緊急時に営業担当者がすぐに病院に駆けつける体制を構築した。それが現場の医師に強く支持された。

 次に、海外メーカーが日本で果たす機能を全て代行した。海外製品が日本で利用できるように薬事承認を得て、全国の病院への営業はもちろん、病院に滞留する製品の在庫リスクまで引き受けた。こうした戦略によって、日本に進出する海外大手も日本法人を設立せず、日本ライフラインに販売を任せるようになった。

 一般的な商社は様々なメーカーの商品を取り扱い、顧客に提供する品ぞろえの豊富さで勝負する。だが、日本ライフラインは独占販売権を得る代わりに、1つの製品カテゴリーでは1社とだけ契約を結ぶ。1社と深く付き合う分、粗利益率は高くなる。

 人工心臓弁や心臓血管の治療に用いるカテーテル、ガイドワイヤへと取り扱い商材を増やしながら、1990年代後半には「心臓疾患の医療機器では国内トップの輸入商社」(鈴木社長)という地位を確立できた。97年12月にはジャスダックへの上場も果たした。

 順調に業績を伸ばしてきたが、上場後に転機が訪れた。主力製品の輸入元企業が同業に買収され、それに伴い契約が唐突に破棄されてしまったのだ。2000年3月期に244億円だった売上高は、翌年に176億円に急落した。

 「現地法人の代行業」という立場は、輸入元との関係が安定していればこそ。相手の意向で契約が突然打ち切られるリスクが、上場後に顕在化した。

 輸入商社なら取り扱い品目を増やせばリスク分散につながる。だが、日本ライフラインは、医療機器を自ら開発・製造する道を選んだ。1999年8月に研究開発拠点を立ち上げ、2000年10月には工場も設置した。そして2001年4月には早くも自社ブランドのガイドワイヤ発売にこぎ着けた。

 鈴木社長は「海外メーカーはグローバルに売る製品規格になっている。日本市場に最適の製品を作ったら、自分たちにもチャンスはあると思っていた」と話す。頼りにしたのはこれまで築いてきた医師とのパイプだ。

 横浜市立みなと赤十字病院の沖重薫・心臓不整脈先進診療科部長は「外資系メーカーに製品の改善を頼んでも対応してくれることはないが、日本ライフラインはこちらの要望を聞いてくれる。実際、日本人医師に使いやすい製品を作ってくれた」と評価する。

<b>日本ライフラインのカテーテルを用いた手術風景。日本人の医師や患者に適した製品を輸入したり、開発したりして医療現場での信頼を高めてきた</b>
日本ライフラインのカテーテルを用いた手術風景。日本人の医師や患者に適した製品を輸入したり、開発したりして医療現場での信頼を高めてきた

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