「群馬からわざわざ来てくれたから、と取引に至ることも多い。商売は信頼関係があってこそ。ネットだけで注文を取ろうというのは、浅はかだった」と田中社長は振り返る。
着実に顧客を広げてきたスタイルブレッドだが、皮肉なことに取引先のシェフたちは仕入れ先について口を閉ざす。「お宅から仕入れていることは、絶対に口外するな」ときつく迫る店もある。
ライバル店に同じ商品を使っていると知られたくない。手作りの料理をアピールしているのに、パンが既製品では格好がつかない。理由はそれぞれあるだろうが、田中社長は「やはり冷凍パンのイメージが悪いのでは」と声を落とす。
「親父の財産を倅が壊した」
桐生市内の実店舗では2012年、パンの製造を中止した。工場で生産した焼成冷凍パンの一部や「プティパン」を使ったサンドイッチなどを常温や冷蔵で販売する。焼き立ての食パンや調理パンはない。

売り上げは最盛期の3分の1にまで落ち込んでいる。昔から勤めていたパン職人たちは辞めていった。地元客には「親父が3代かけて築き上げたものを倅で全部、壊した」と怒り交じりに言われる。パン職人の白衣を脱ぎ、マネジメントに徹するようになってから、子どもたちには「毎日、何をしているの?」と聞かれる。
“町のパン屋さん”には、焼き立てパンが求められること。焼成冷凍パンの地位は依然として低いこと。味だけを取れば、理想を追求する余地は限りなくあること。どれも、職人だった自分が一番よく分かっている。朝起きて、自分の手でパンを作る仕事こそ最も尊いと思っていた身にはこたえることもある。
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