バランスシートの改善と並行して、MBKが用意したもう一つの「隠し玉」は、ブランド力を強化できる手腕を持つ人物を三顧の礼をもって迎えることだった。世界的に見てもあまり例のない、宝飾ブランドの再生を任せられる人物は日本に1人しかいなかった。グッチやクリスチャン・ディオールなど、外資ブランドの日本法人でキャリアを積んだ、当時LVJグループのフェンディジャパンカンパニーCEO(最高経営責任者)だった田島寿一氏だ。

 「不思議なご縁を感じました」。社長就任の打診を受けた時のことを、田島氏はこう振り返る。

 外資系ブランドの社長だった2000年頃、出席した部下の結婚式で創業者の田崎俊作氏と同席する機会に恵まれた。真珠についての話を聞くうちに「いつか外資で培ったノウハウを生かして日本のブランドを元気にする仕事をしたいと思った」。

 その時の強烈な印象が、田島氏の背中を押した。「ファンドが買ったら資産を売って会社を解体するんじゃないかと心配したが、日本のブランドとして生まれ変わらせると聞いて、引き受けることにした」と当時を振り返る。

真珠を真っ二つ

 「同じ真珠メーカー、ミキモトの背中を追うんじゃない。田崎真珠は、世界の名だたるラグジュアリーブランドになるのだ」

 社長就任直後から、田島社長は社員にこう繰り返してきた。目指したのは、従来の宝飾品業界になかった分野に切り込み、新しい市場を作ることだった。そのために商品のデザイン、そして販路をすべて刷新した。2012年には社名も田崎真珠からTASAKIへと変えた。

 従来の真珠から連想されるものは、冠婚葬祭といった、クラシックなイメージ。これでは、多くの人は一生のうちに白い真珠のネックレスを1本買うだけで終わってしまう。

 田島氏は「様々な洋服に合わせて楽しめる、デザイン性の高いジュエリーにすれば、もっと真珠が身近なものになる」と考えた。

 そのためには、従来のようなショーケースの中で輝くデザインではなく、人が着けた時に新たな真珠の魅力が引き出されるものが求められる。田島氏が、商品開発からブランド戦略までを統括するクリエーティブ・ディレクターとして起用したのは、ジュエリーではなく服飾デザイナーのタクーン・パニクガル氏だった。

 技術的に実現不可能なこと以外は、何をやっても構わない──。田島氏は、タクーン氏の能力とセンスに懸けた。

 結果、従来の宝飾デザイナーでは思いもつかなかったデザインが次々と飛び出す。

 それは「丸ければ丸いほど美しい」と言われていた真珠の既成概念をくつがえすものだった。

 丸い真珠を削って逆さまにしたダイヤモンドをくっつけたり、鋭いトゲを刺し込んで真珠の丸さを際立たせるデザイン。 真珠を真っ二つに割り、断面を見せることもいとわなかった。「初めて見た時は、本当に売れるのか分かりませんでした」。2010年に新商品が出た当時のことを、多くの販売員はこう振り返る。生産部門にいた職人の中には「丸い真珠が美しいのに、削るなんて、とてもできない」と怒り出す者もいた。

 それでももう後には引けない。社員は新商品が成功することを信じて、付いていくしか道はなかった。それほど社員の危機感も強かったのだ。田島社長も、積極的に全国の販売店を回って社員の声を拾うとともに、世界に伍するブランドになるという目標を伝え続けた。

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