毎年、9つの養殖場から揚がってくる真珠をさばききれず、在庫は膨らむ一方だった。真珠の価格も下げ止まらず、2007年10月期には、302億円という売上高に対し、在庫の評価損約80億円を計上した。支払利息7億円に土地、建物の減損損失20億円も加わり、3期連続で最終赤字という悲惨な状況になってしまった。

 それでも、品質や生産にこだわり続けてきた経営陣は元凶である養殖場の生産過剰にメスを入れられなかった。

 大量の在庫をさばくため、セールも日常的になっていた。当時の田崎真珠の窮状を物語るエピソードがある。東京・御徒町で40年近く真珠の卸売業に携わるある人物は、2007年頃に開かれた入札会の様子が忘れられない。「店頭に置けば2000万円はくだらない、それはもう立派な白蝶真珠のネックレスが田崎さんから持ち込まれた。300万円で売られていましたね。よほど資金繰りに困っていたのでしょうか」。

生産過剰に終止符

 メーンバンクから転籍し、当時田崎真珠の経営企画室にいた飯田隆也・専務執行役は「正しいと信じて積み上げてきたビジネスモデルだっただけに、時代に合わなくなっても自分たちだけでは何から手をつければいいか分からなかった」と当時を振り返る。

 利益を押し下げる在庫に、養殖場の人件費や生産設備のコスト──。このままの状態を放置すれば、会社の将来は目に見えていた。

 度重なる赤字を計上したとはいえ、自己資本比率は4割を超えている。会社の体力があるうちに、大量生産型の卸売りに依存したやり方を変えなければ。当時の経営陣は、収益構造を卸売りから、より利益率の高い、小売りに変える戦略を考え出す。

 だが、それには様々なリストラ費用がかかる。銀行から借り入れるのはバランスシートの観点から見ても難しい状況だ。ならば出資を仰ぐしかない。経営陣の意向を受けて、飯田氏は会社に「新しい血」を入れようと腹を決めた。

 東アジアに特化した独立系ファンド、MBKパートナーズに、田崎真珠への出資話が持ち込まれたのは2008年のことだ。出資に値する会社か調べるため、MBKは大規模な消費者リサーチを実施する。意外にも、消費者の田崎真珠に対する不満はたった一点に集約されていた。

 「デザインがいまいち」

 一方で、知名度や品質の高さに対する評価は非常に高かった。創業時から積み上げられていたクオリティーの高さは、きちんと消費者に伝わっていたのだ。「過剰な生産体制を見直し、デザインを変えられれば、田崎真珠は生まれ変わる。埋めなければならないパーツは、実は少なかった」(MBKの池田大輔マネージングディレクター)。MBKは、70億円の第三者割当増資を引き受ける形で出資を決めた。

 再生の主導権や将来の成長利益をファンドが独り占めするのではなく、既存株主や会社と共有する形で企業を生まれ変わらせることにMBKはこだわった。株主や従業員を大事にしたいと考える、田崎真珠の創業家や経営陣の思いに配慮してのことだ。

 田崎真珠の経営陣を納得させられるだけの再生スキームを、MBKは用意した。結果、会社の首脳部は納得の上で、経営の主導権をMBKと新経営陣に明け渡すことにした。2008年7月のことだった。

再生請負人を招へい

 「新しい血」が入ってからの動きは速かった。フットワークを軽くするためにまず、国内外にある9カ所の養殖場のうち7カ所を閉鎖、全社員の4割に相当する483人の希望退職も実施した。徳島県にあったあこや貝などの海洋生物研究所も譲渡。神戸中心に持っていた研修所や社員寮など、土地や建物も売却した。これらの資産整理や人員整理で作った資金を、借入金の返済に充てた。

 利息の負担が軽減されたことで、70億円の半分以上を店舗改装や新商品開発などの積極的な投資に振り向けることができるようになる。

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