養殖場に笑顔があふれているのには理由がある。ここから出荷される真珠の量は約560kg。6年前と比べて面積は3倍に増えた。養殖場は久しぶりの活況に沸いているのだ。

 TASAKIは、1954年創業の日本を代表する宝飾品メーカー。田崎真珠という旧社名からも分かるように、真珠にこだわり、生産から販売までを一気通貫で手掛けてきた。2012年10月期まで3期連続で営業赤字に陥っていたが、その後V字回復。2014年10月期には14億円の営業黒字を計上した。

利益もようやく出てきた
●TASAKIの売上高と営業損益
利益もようやく出てきた<br/>●TASAKIの売上高と営業損益
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 TASAKIの復活ぶりは、店頭をのぞけばすぐに分かる。東京・銀座4丁目交差点近くの旗艦店には、年配客だけでなく20代から30代の若い女性が訪れ、1つ20万円以上する指輪を喜んで買い求めていく。普段はほとんど使わないけれど、冠婚葬祭用に1人1つは持っておく。そんな真珠の後ろ向きで古臭いイメージはそこにはない。

 真珠は「巻き」と「照り」を大事にせよ──。TASAKIで真珠の選別に携わる職人たちは、入社時からそう教え込まれてきた。少しのキズやえくぼがあっても、真珠層の厚み、そして輝きの強さを大事にしてきた。それは今なお伝わる、60年間守られてきた伝統だ。

 だが、今の若い消費者を引き付けるのは、TASAKIがかたくなに守り続けてきた品質だけではない。

「在庫は力」が苦しめる

 今でこそ売り上げも利益も右肩上がりの同社だが、つい10年前まで業績の悪化に苦しみ続けていた。その最大の原因が、過剰なまでの品質へのこだわりだった。

 TASAKIが運営する養殖場は現在、冒頭で紹介した九十九島とミャンマーの2カ所だが、ピーク時は、その数が9つもあった。真珠の養殖は難しく、高い値がつく最高級の真珠は生産量全体の1~2割程度にすぎない。養殖場をたくさん抱えることで、高品質の真珠を確保する。これが同社の戦略だった。

 「在庫は力なり」。田崎真珠を創業した田崎俊作氏はこう言い続け、養殖場の拡大にいそしんだ。

 田崎真珠のビジネスモデルは、養殖場から大量に揚がってくる在庫のうち、グレードの高いものを田崎真珠の小売り用に使い、それ以外は卸で売る。卸売りは、最盛期は同社の売上高の6割を占めた重要部門だった。このモデルを支えたのは、海外をはじめとする右肩上がりの需要。政府も外貨獲得のため、真珠の輸出を奨励した。

有力な外貨獲得手段だった
●真珠の輸出数量と金額グラフ
有力な外貨獲得手段だった<br/>●真珠の輸出数量と金額グラフ
注:養殖と天然真珠の合計、加工品含む
出所:財務省「貿易統計」
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痛みを伴う再建だった
●MBKが出資した70億円の用途
痛みを伴う再建だった<br/>●MBKが出資した70億円の用途
(写真=竹井 俊晴)

 しかし2000年代に入り、真珠の卸売業界を取り囲む環境は大きく変わる。中国が淡水パールの生産技術を向上させたことで、あこや真珠の10分の1以下の値段で見た目がさほど変わらないものが出現。その影響で、あこや真珠は需要が縮小しただけでなく、価格も下落した。「力」だったはずの在庫は、一気に業績を圧迫し始めた。

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