多くの経営者は、残業削減のメカニズムを次のような公式で捉えている。

 残業削減=仕事の絶対量の減少×効率向上

 だがこれは不完全で、正しい公式はこうなる。

 残業削減=仕事の絶対量の減少×効率向上×社員の家に帰りたい気持ち

 新たに加わった3つ目の要素は強力で、これこそが日本の残業が減らない根本的な原因だ。千葉商科大学国際教養学部の常見陽平・専任講師がずばり言う。「日本人は総じて『家に帰りたい気持ち』が低いように思える。だから、会社が仕事量を減らしたり、業務効率化を進めたりしても、それだけでは残業の削減が進まない」。

 では、なぜ平均的日本人は家に帰りたくないのか。その原因は2つある(帰りたくても組織的圧力で帰ることができなかったり、会社の人員構成上の問題などで各人の仕事量が常軌を逸したりする、いわゆる「ブラック企業」の残業についてはここでは触れない)。

 誰もが薄々感じていながら実証できなかった、この身も蓋もない事実をデータで証明したのが独立行政法人の経済産業研究所だ。

 同研究所は、ある大手メーカーの人事データを用いて、労働時間の長さと、昇進確率の関係を分析した。それが下の図で、男女とも労働時間が長いほど昇進確率が高まる傾向にある。

 とりわけ女性における相関関係は鮮明で、年間総労働時間1800時間未満の人の昇進確率に対し2300時間以上の人は5倍を超える。「長時間労働が難しい女性は昇進機会の少ない働き方に振り分けられるのがその理由だろう」。同研究所の客員研究員、米シカゴ大学の山口一男教授はこうコメントする。

週63時間以上働くのは無意味

 長く働くから出世するのか、出世するから労働時間が延びるのか。ここでその因果関係を解明することに意味はない。社員にとって大事なのは、「日本企業では総じて、残業しないと、会社の中枢にいられる確率が下がる」という事実だけだ。

 「50~60代が中核をなす、現在の経営トップはバブルを知る世代。時間をかければ成果が上がった自らの成功体験もあって、遅くまで働いている社員を評価する傾向がいまだにある」。約250社で残業削減の支援を手掛けた経験を持つ、社会保険労務士の望月建吾氏はこう分析する。

残業時間と出世は連動する
●ある大手メーカーの労働時間の長さと昇進確率の関係
出所:経済産業研究所。加藤隆夫(米コルゲート大学教授)、川口大司(経済産業研究所ファカルティフェロー)、大湾秀雄(経済産業研究所ファカルティフェロー)によるディスカッションペーパー(2013年)から引用

 米スタンフォード大学経済学部のジョン・ペンカベル教授は2014年、「週50時間以上働くと労働生産性が下がり、63時間以上働くとむしろ仕事の成果が減る」という調査をまとめた。70時間、100時間働こうと、その成果は63時間の労働より少なくなるというわけだ。

 現場社員の多くは、“そんなこと”はとっくに気が付いている。だが、誰だって、仕事を効率よくこなすことより、中長期にわたって会社に居場所を作ることの方が大切だ。

 「出世を狙う社員にとっての最適戦略は、効率など気にせずとにかく膨大な仕事をこなすこと」。たとえそれが誤解でも、多くの社員がそう思っている間は残業は減らない。

 ブラック企業のように組織的圧力があるわけでもなく、今日やらねばならぬ仕事があるわけでもないのに今日も無駄な残業に精を出す。そんな社員の中には、出世や収入増にさほど関心がない人もいる。彼らが帰らない理由もまた、身も蓋もない。「帰ってもろくなことがない」だ。

 「自分だけでもいいので、ノー残業デーを水曜以外にしてもらえないか」

 あるメーカーの工場で最近、50代の社員、A氏から人事部にこんな奇妙な相談が舞い込んだ。なぜ水曜だと駄目なのか。聞くと、別の会社に勤める妻がやはり水曜がノー残業デーで、お互い早めに帰宅すると、家で気まずいのだという。

 男性の中には、家事をやりたくないから家に帰りたくない、という人もいまだ多い。「多くの日本人男性は残業のおかげで家事を放棄できていた。残業がなくなるとこの“特権”がなくなる」。千葉商科大の常見専任講師はこう解説する。

 女性にも、家事や晩ご飯を用意するのが嫌で帰るのがおっくうな人はいる。「夫婦仲が悪いわけではないけど、何かと面倒なので、ノー残業デーでも食事会があるなど適当な理由をつけて、いつも通りの時間に帰るようにしている」(サービス業、30代)。

 「ろくなことがないから」と家に帰ろうとしない社員は既婚者だけではない。