老朽化したインフラ、貧弱な交通網、自治や冠婚葬祭すらままならない人の少なさ──。「限界集落」と聞いて多くの人は、そんなイメージを抱くに違いない。人口の過半を65歳以上が占める、地方衰退の象徴、限界集落。だが日本には、明らかに「限界」の環境にありながら、共同生活を維持するエリアも存在する。絶海の孤島から山深い秘境まで、「限界」を突破して生きる集落の知恵と工夫を取材した。

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 まずは上の写真をご覧いただきたい。合成ではなく、実際に存在する集落の空撮写真だ。

 見れば分かるようにこの集落には車道が通じていない。左に延びる海岸は車の走行は不可能。村に入るには、最寄りの車道から1時間ほど歩き、集落の上に見える急な山道を下りてくるか、漁船を使うしかない。

歴史の謎に包まれた集落

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<b>車道のない集落、宇遠内。生活の足は小型の漁船。冬場は海が荒れて出船できないので、町中心部の別宅に移る。重機が乗り入れられないため下水工事ができず、菌でし尿を分解する「バイオトイレ」が活躍している</b>(写真=寺岡 篤志)
車道のない集落、宇遠内。生活の足は小型の漁船。冬場は海が荒れて出船できないので、町中心部の別宅に移る。重機が乗り入れられないため下水工事ができず、菌でし尿を分解する「バイオトイレ」が活躍している(写真=寺岡 篤志)

 ここは、日本最北の有人島(北方領土を除く)、北海道礼文島にある宇遠内(うえんない)地区だ。グーグルマップで礼文島の西岸を丁寧に見ていくと、1カ所だけ、周囲に道などないのに海岸に人工物らしきもの(写真のS字型防波堤)がある場所が確認できる。そこが宇遠内だ。

 アイヌ語で「悪い川」を意味するこの地に、本土から移住者が入植したのは明治期とみられる。入植の目的はニシン漁ともいわれているが、それにしてもなぜここまで偏狭な場所を選んだか公式の記録はなく、謎に包まれている。結局、極端な地理的条件の影響は大きく、住民は約50年前の最盛期でも十数世帯。現在は3世帯9人しかいない。

 外形的事実だけ見ると日本を代表する「THE限界集落」としか思えない宇遠内。だが、不思議なことに、住民自身は「限界」とは全く思っていない。

 限界集落は1988年、社会学者の大野晃氏が提唱した概念。将来的にコミュニティーが消失する恐れがある集落を指す言葉で、人口の半数以上を65歳以上が占めることが「限界」の基準とされる。2007年の参院選で地域格差の象徴として取り沙汰され、地方衰退のキーワードとして定着した。国の調査では、全国に1万5000カ所以上ある。

 この基準に照らし合わせると、今の宇遠内は限界集落ではない。

 確かに2年ほど前は65歳以上の高齢者が住民の半数を占めていたが、その後、出身者である川村桂太氏(29)、野愛さん(28)夫婦が里帰り。1年前には娘の奏愛ちゃんも生まれ、65歳以上の高齢化率は9人中3人、33.3%まで下がった。なぜ川村夫妻は戻ってきたのか。工夫次第で普通に暮らせるからだ。

 宇遠内で文化的生活を続けるための課題の一つは厳しい自然だ。買い物は漁船に15分ほど乗り、同じ海岸沿いの最も近い集落の商店に行くが、海が荒れると船を出せない。台風も大敵だ。峠を越えてきている電線が切れて停電がしばしば起こる。

 ただ、これらについては、「コメやしょうゆ、味噌は半月~1カ月分常備し、ガソリンによる自家発電機を備えることで対応が可能」(川村氏)。むしろ、住民を長年、悩ませてきたのは下水施設がないことだった。

 下水処理施設は峠の向こう(空撮写真の上側)4km先で、とてもそこまで配管はできない。バキュームカーも入れないため、土間などに穴を掘って板を渡してトイレ代わりにしていた。およそ衛生的とは言い難く、臭気も気になった。

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