小型旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」が初飛行に成功した。50年ぶりの快挙に日本中が沸いたが、ただ機体を飛ばすだけでは不十分だ。部品製造など裾野が広がってこそ、航空機は産業へと昇華できる。

(写真=早川 俊昭)
(写真=早川 俊昭)

 50年間の空白がようやく埋まった瞬間だった。

 2015年11月11日、午前9時35分。三菱重工業が傘下の三菱航空機を通じて開発中の小型旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」は名古屋空港の滑走路を走り始めると、離陸速度に到達するや否や、澄み切った秋の空へと舞い上がっていった。

 昨年10月のロールアウト(初披露)以降、滑走路での走行試験の様子などが伝えられてきたが、実際に飛んだのはこの日が初めてだ。「ようやく、紙飛行機から現実の飛行機になった」。三菱重工業の大宮英明会長は、感慨深そうにこう語った。

 日本企業が旅客機を開発するのは、1962年に初飛行し、65年に就航した「YS-11」以来だ。YS-11と同様に、MRJもこれから様々な条件下での飛行試験を重ね、航空当局による安全性のお墨付きである「型式証明」の取得へと開発のステップを進めていくことになる。航空機の開発において、初飛行が大きな節目とされるゆえんだ。

 そんなMRJの初飛行の様子を、インターネット中継でじっと見ていた「4代目」がいる。名古屋から340km離れた佐渡島にある売上高13億円の機械加工メーカー、佐渡精密の末武和典副社長(42歳)だ。1機当たり95万点に上るMRJの部品のうち、数点は佐渡精密が削って、仕上げた。

 同社にとって、航空機事業はまだ数年の歴史しかない。ただ、これからMRJの量産が本格的に始まれば、20~30年間にわたって部品を納め続けられる可能性もある。「MRJが30年間飛んだら、俺も社長(=父親)と変わらない年だな」。遅延が続いていたMRJの雄姿に気持ちが高ぶる半面で、覚悟を試されている気がした。

市場拡大の期待と不安

 日本の航空機産業は今後、拡大すると思いますか──。「日経ものづくり」が技術者などに実施したアンケート(10月28日~11月5日、有効回答数は362人)で、「急速に拡大する」と「徐々に拡大する」と答えた人は合計で82.3%となった。理由として最も多かったのが、「国内に完成機メーカーが誕生したため」(49.0%)だ。MRJをきっかけに、現在は1兆6000億円ほどにすぎない日本の航空機産業が拡大し、佐渡精密のように裾野を担う企業が続々と現れることを期待する声は多い。

 ただ、現実は生易しくはない。「(部品メーカーとしての)認証を取得するのが大変」「投資回収に時間がかかる」「思ったほどもうからない」…。航空機産業への参入をためらう企業は、こんな声を漏らす。11月11日に空を舞ったMRJも、当面は部品の7割が海外製。日経ものづくりの調査でも「航空機産業への参入障壁は高い」または「やや高い」と考える人が86.4%に上る。

 そんななかで、着実に歩み出すことができた中小企業には、どんな秘訣があるのか。離陸が迫る日本の航空機産業へのヒントと課題を探るため、佐渡島を訪ねた。

 坂の上にぽつんと立つ廃校に近づくと、早朝から工作機械で金属を削る音が聞こえてきた。音の発生源はもともと体育館だった建物と、昨年、その隣に増築された新工場だ。「ここは周りに住居がないので、24時間操業をして機械を無駄なく使うことができるんですよ」と、佐渡精密の末武副社長は言う。以前の工場が手狭になった1983年から、この廃校をオフィスや工場として使い続けている。

廃校からMRJの部品を生み出す
●佐渡精密の工場と社屋
廃校からMRJの部品を生み出す<br/>●佐渡精密の工場と社屋
佐渡精密の末武勉社長(写真上の左)と息子の和典副社長(同右)は2000年代半ばに航空機産業への参入を決断。住友精密のOB(写真下の左)に航空機特有の生産管理手法を学び、ジャパン・エアロ・ネットワーク(JAN)の仲間と連携してMRJなどの部品を製造している

 工場に並んでいた真新しい複合旋盤では、ホンダエアクラフトカンパニーの「ホンダジェット」の脚部に使う、手のひらサイズの部品が削られていた。量産を目前に控えるMRJのほか、カナダ・ボンバルディアの小型旅客機「CRJ」の部品も手掛けている。外壁には航空機部品の品質管理をしている証しである「JISQ9100認証」の文字が、誇らしげに掲げられていた。

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